
自船を壊していって、それを燃料にするというウロボロス的なラストスパートが印象的で、まぁ素晴らしいとしか言いようのない作品である。
そんなどこもかしこも素晴らしいとしか言えない作品のなかで、もちろんそれも素晴らしいのだけど、その素晴らしさがある巧さに起因している所をとりあげてみる。
それは、ドク(ウィル・ロジャース)がフリーティ(アン・シャーリー)を受け入れるシーン。
ドクは、甥デュークがフリーティを連れてきても、沼地の娘だと相手にしない。デュークを自首させて戻ってくると、フリーティを連れ戻しに沼地の男たちがやってくる。その無法ぶりを見兼ねたドクはフリーティを甥っ子の嫁だと主張して、男たちを追い払う。そこからドクは、手の平を返したようにフリーティにやさしくなり、男勝りだったフリーティも途端にしおらしく振る舞う。
この唐突な変化をどのように演出しているのか。
フォードは、このシーンの舞台である船室の撮り方を、この変化の前後で変えている。
この変化の前までは、この船室の入口をフレームの上手に位置するカメラポジションで撮影して、後では、入口が下手に位置する180°逆ポジションから撮影している。
もちろんそれぞれのカットバックも、それぞれのその基本ポジションに依拠している。
ただ、それだけのことが、この唐突な変化を受け入れやすいものにしている。
同じ空間でありながら、二人の変化に合わせて、異なる背景を配し、異空間を創出しているのだ。逆ポジションに入るまで、一切逆ポジション側で背景になる壁側を見せていないのも効果的である。
ここぞというところで、イマジナリーラインの逆に入ることは(個人的には)よくやることなのだが、ここまで巧いと本当に惚れ惚れしてしまう。
--質問があるんですが。--
すいません質問があります。
「イマジナリーラインの逆に入ること」など演出の定石を崩したり、これにかかわらず映像的な演出の採用不採用は撮影監督が決めるのですか?
現場を知らない人間の素朴な質問です。
すいません質問があります。
「イマジナリーラインの逆に入ること」など演出の定石を崩したり、これにかかわらず映像的な演出の採用不採用は撮影監督が決めるのですか?
現場を知らない人間の素朴な質問です。
by: サカモ * 2007/04/11 01:24 * URL [ 編集] | page top↑
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最近あのダイソーで見つけた「プリースト判事」の格安のDVD、画像の悪さを吹き飛ばす内容の素晴らしさに感激してしまいました。ツタヤで借りた「タイフーン」もあの時代に今のCG真っ青のこれほどのパニック?映画がすでに完成していたとは・・。「タバコロード」もみごとでしたねぇ。そしてこの「周遊する蒸気船」ですね。タイトルがまたすばらしい。このあたりのフォードも大好きです。そして圧巻の「ウロボロス的なラストスパート」はすごい。大量の家具を燃やしている様はふとイオセリアーニと通じるものを感じてしまいました。そのあと蝋人形やホカタンス?の商売道具まで燃やしてしまう様は圧巻としか言いようがないですね。ウィル・ロジャースはヘンリー・フォンダの1000倍は素晴らしい。イマジナリー・ラインを変えてからだと思いますが、あの時のアン・シャーリーのうれしそうな表情を2度ほど写しますが、度が過ぎず、そこがかえってうれしさを表現していて素晴らしいと思いました。こんな幸せな気分を味わえたのは久しぶりですね・・。
最近あのダイソーで見つけた「プリースト判事」の格安のDVD、画像の悪さを吹き飛ばす内容の素晴らしさに感激してしまいました。ツタヤで借りた「タイフーン」もあの時代に今のCG真っ青のこれほどのパニック?映画がすでに完成していたとは・・。「タバコロード」もみごとでしたねぇ。そしてこの「周遊する蒸気船」ですね。タイトルがまたすばらしい。このあたりのフォードも大好きです。そして圧巻の「ウロボロス的なラストスパート」はすごい。大量の家具を燃やしている様はふとイオセリアーニと通じるものを感じてしまいました。そのあと蝋人形やホカタンス?の商売道具まで燃やしてしまう様は圧巻としか言いようがないですね。ウィル・ロジャースはヘンリー・フォンダの1000倍は素晴らしい。イマジナリー・ラインを変えてからだと思いますが、あの時のアン・シャーリーのうれしそうな表情を2度ほど写しますが、度が過ぎず、そこがかえってうれしさを表現していて素晴らしいと思いました。こんな幸せな気分を味わえたのは久しぶりですね・・。
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>サカモさん
コメントありがとうございます。
御質問の件ですが、答えはもちろん監督です。
提案する/しない、できる/できないは、人によって/チームによって違うと思いますが、いずれにせよ全ての決定権は監督にあると考えて間違いないです。
私は提案する人なので、それができないチームでは仕事しません。(ということにしています。とりあえず)
>OGiさん
コメントありがとうございます。
無茶苦茶な印象なんですが、私は「周遊する蒸気船」とデビット・フィンチャーの「ゲーム」がどうしてもペアになってしまうんです。
「周遊する蒸気船」の自船を燃やしていくというウロボロス的な展開が、どうしてもそのいきつくところの想像(船がなくなってしまう)をかき立てられるのと、「ゲーム」でとりあえずの映画のラストが、それもまたゲームでしたという無限後退を想像せずにいられないことが、二つを結びつけるんですね。
まぁとにかくあのアン・シャーリーという女優はチャーミングに撮られていました。
>サカモさん
コメントありがとうございます。
御質問の件ですが、答えはもちろん監督です。
提案する/しない、できる/できないは、人によって/チームによって違うと思いますが、いずれにせよ全ての決定権は監督にあると考えて間違いないです。
私は提案する人なので、それができないチームでは仕事しません。(ということにしています。とりあえず)
>OGiさん
コメントありがとうございます。
無茶苦茶な印象なんですが、私は「周遊する蒸気船」とデビット・フィンチャーの「ゲーム」がどうしてもペアになってしまうんです。
「周遊する蒸気船」の自船を燃やしていくというウロボロス的な展開が、どうしてもそのいきつくところの想像(船がなくなってしまう)をかき立てられるのと、「ゲーム」でとりあえずの映画のラストが、それもまたゲームでしたという無限後退を想像せずにいられないことが、二つを結びつけるんですね。
まぁとにかくあのアン・シャーリーという女優はチャーミングに撮られていました。
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ありがとうございます。
やっぱり、そうなんですね。
チームは大切ですよね。
それはよくわかります。
ありがとうございます。
やっぱり、そうなんですね。
チームは大切ですよね。
それはよくわかります。
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僕は「ゲーム」と言えば、すぐ映画ではルノワールの「ゲームの規則」と、哲学の「言語ゲーム」を思い浮かべてしまいます。「ウロボロス的」とはまさに「言語ゲーム」ですね。自己言及性(ウロボロス的)ということでしょうね。イオセリアーニの作品も家具を抱えて動きまくる人が沢山出てきたりしておかしいですよね。つまりそれは「物」との係わりあい、「世界」との係わりあい方のひとつではないのかなぁと思ったりします。ある意味滑稽ですよね。「周遊する蒸気船」もまさにそうなわけで、この「ゲーム」はある意味、上がりのない「絶望」でもあるわけですよね。おっしゃられるとおり無限後退性ということでもあると思います。「ハリケーン」を見ても思うのですが、フォードは大変知性的な監督さんではないのでしょうか?今さら何を言ってるとコアなフォードファンに怒られそうですが・・。
僕は「ゲーム」と言えば、すぐ映画ではルノワールの「ゲームの規則」と、哲学の「言語ゲーム」を思い浮かべてしまいます。「ウロボロス的」とはまさに「言語ゲーム」ですね。自己言及性(ウロボロス的)ということでしょうね。イオセリアーニの作品も家具を抱えて動きまくる人が沢山出てきたりしておかしいですよね。つまりそれは「物」との係わりあい、「世界」との係わりあい方のひとつではないのかなぁと思ったりします。ある意味滑稽ですよね。「周遊する蒸気船」もまさにそうなわけで、この「ゲーム」はある意味、上がりのない「絶望」でもあるわけですよね。おっしゃられるとおり無限後退性ということでもあると思います。「ハリケーン」を見ても思うのですが、フォードは大変知性的な監督さんではないのでしょうか?今さら何を言ってるとコアなフォードファンに怒られそうですが・・。
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