スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
「もしも昨日が選べたら」ベタな展開に隠されたベタではないベタの配置
click

 「もしも昨日が選べたら」について。
 見事な劇作だと思われる。一言で言えば、ベタだけどいいということだ。
 ベタな展開に隠されたベタではないベタの配置。
 ベタな展開のオンパレードで、ベタな話と見紛いがちだが、そのベタな展開をいかに選択配置するかにおいてのベタならざる巧さ。

 (以下ネタバレ)家庭を顧みず、仕事=出世の為に不思議なリモコンを使用して、その結果主人公は落ちるところまで落ちるのは、ベタな展開である。で、落とすところまで落とした後、救済しなければならないのがベタな王道で、この映画もそのとおりに展開し、その反省から主人公が成長して幕をとじるわけなのだが、そこでの反省の構成にベタならざる巧さをみせているのだ。
 反省とは、内省的なものなので映画とは相性が悪い。落ちるところまで落ちたアダム・サンドラーの反省している姿を見せて、実は夢でしたとしてみてもベタな展開からは外れてはいないが、そこに感動はない。
 反省の内省的な性格を追体験させるという形で形象化する。
1)物理的に万能リモコンを利用して、父親に冷たく接する過去の自分を客観的に見る。
2)自らの類似として同じ轍を踏もうとしている息子を見る。
 この二段構えが強力な催涙効果を与える。1)で後悔しかできないという不可能性を与えておいて2)で今なら間に合うという自らの死を賭けての可能性を与えている(自己犠牲)。
 しかも、この世代の類似が不可能性と可能性のコントラストを際立てている。
 もちろん2)で可能性に賭ける主人公をみせることで、観客は主人公の能動的に地の底から這い上がろうとする姿を見ることになるので、その後の夢落ちに不快感を感じることはない。
 この2)を用意する1)という二段構えは秀逸である。それぞれはベタなので、この隠された構造の見事さに気づくことは難しい。ベタだけどいいという作品に出会ったとき、このような劇作の秘密が隠されているのではないだろうか?
 
2006/10/08(Sun) | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://pointbreak.blog66.fc2.com/tb.php/55-230a9d5e
前のページ ホームに戻る  次のページ