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A・ヒッチコック「鳥」 

 「鳥」について。
 前回「北北西に進路を取れ」でも採りあげたが、見た目ショットとクロースアップというヒッチコック得意の手法を「鳥」についても考えてみたい。
 「鳥」では、この見た目ショットとクロースアップという観客の感情移入に極めて有効な手段が、遺憾なく発揮されている。
 「夢を語る技術〈5〉神話の法則 ライターズ・ジャーニー」によると、最初にオーディナリーワールド(日常の世界)があって、そこからスペシャルワールド(特別な世界)へと主人公を連れ出すことで、ストーリーが成立すると言う。「鳥」においては、オーディナリーワールドにあたるのが、サンフランシスコでの描写になると考えられ、ボデガ湾へと向かうことが、スペシャルワールドに足を踏み入れるということになる。
 スペシャルワールドとは、その作品世界に他ならないのだから、観客の感情移入も、主人公がオーディナリーワールドからスペシャルワールドに足を踏み入れるのに沿って、なされるのが正解である。だから、向こう岸の家にボートで乗り入れるというやり方で、見た目ショットとクロースアップを巧みに導入しているのは、申し分ないわけだ。
 このシークエンスに代表されるように、何かにアプローチする人物と、見た目ショットとクロースアップの技法は相性がいい。「鳥」ではここ以外にも、例えば屋根裏部屋に行こうとするメラニー(ティッピ・へドレン)をそれで見せているし、個人的に他のヒッチコック作品で思い出すのは、「サイコ」でモーテル裏の屋敷にアプローチするライラ(ヴェラ・マイルズ)のそれなのだ。
 ヒッチコックは、ミステリー(これまでに何が起ったかを描く)の作家ではなく、サスペンス(これから何が起るのかを描く)の作家であるから、これから何が起るかを、その目的をマクガフィンなる術語で骨抜きにして、語るのだから、アプローチした先よりもアプローチそのものに、その要諦があるのではないだろうか。

 「鳥」での中心的な視点は、もちろんメラニーその人なのだが、1シークエンス丸々視点が移るところがある。それは、恋人のミッチ(ロッド・テイラー)ではなく、その母親(ジェシカ・タンディ)の視点なのだ。カメラは母親の駆るピックアップとともに、鳥に惨殺された農夫の家へと行く。そのくだり丸々母親の視点で語られる。
 この視点のシフトチェンジを無理なく見せているのは、このシークエンスの前に、鳥の襲撃を受けて粉々になった食器を拾い集める母親を、(ストーリーの展開を台詞で聞かせるのみにして背景に退かせて)メラニーの見た目で延々とただ捉えているだけのシーンがあったからだ。

 軽食堂でのシーンは、定本 映画術?ヒッチコック・トリュフォーでトリュフォーが長過ぎるのではと発言しているが、実に面白いシーンだと思う。
 電話をしているメラニーを、遠巻きに見ている人々。カメラは、メラニーを軸に360°全て見せている。つまりフレームにメラニーを入れ込み、角度を変えて人々を撮っている。
 メラニーが電話を終えると、周囲から話かける人々。その人々とメラニーという軸を結ぶイマジナリーラインが放射状にのびていく。同じアングルがひとつもないのでは?と思うくらいだ。

 ラスト、鳥に家の周囲を取り囲まれたメラニーたちは、家という檻に閉じ込められているのであって、檻の中のラブバードのつがいは、その陰画になっている。
 この入れ子構造は、以前「逃走迷路」で述べた自由の女神像と主人公とのフォルムの入れ子構造を想起させるし、実現はしなかったが「北北西に進路を取れ」のラシュモア山でケーリーグラントを大統領の鼻の中に隠れさせ、そこでくしゃみをさせるというヒッチコックのアイディアの志向もそうだ。
 
 
 
2006/07/29(Sat) | 演出 | トラックバック(1) | コメント(5) | page top↑
コメント
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 DPMNさん、こんばんは。
 『鳥』は非常に有名な作品であり、ヒッチコキアンのみならず、一般的な映画ファンでも名前だけは知っているほどの作品ですね。
 籠の中の小さな鳥がマクガフィンというのはいかにもヒッチらしいですし、ラストでの、家に閉じ込められた人間がそこから出て行くという構造のひねり具合が絶妙でした。
 観客をどういうふうにすれば作品世界に誘導できるかを熟知していた彼はゴダールの言うとおり、世界をコントロールした貴重な映画人だったのでしょう。
by: 用心棒 * 2006/07/29 21:10 * URL [ 編集] | page top↑
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>用心棒さん
コメントありがとうございます。
>観客をどういうふうにすれば作品世界に誘導できるかを熟知していた彼は
全くそのとおりだと思います。だとすれば、ヒッチコックから学ばない手はないですよね。
有名なシーン(例えば「サイコ」のシャワーシーンとか)そのものよりも、その有名なシーンまでどのように持っていくかのほうが、学びがいがあると思っています。
by: DPMN * 2006/07/31 01:23 * URL [ 編集] | page top↑
--見た目(主観)ショット--

ヒッチコック本編とまでは行かないまでも、「ヒッチコック劇場」的な作品を作る、鈴木英夫という監督がいらっしゃいます。
なかなか面白い作品と作るのですが、「蜘蛛の街」という作品の中で、(その前に追われる者のセミ・クロースが入っているにも拘らず)追われる者が追う者を見るショットを客観的視点で撮っていることに大変失望、サスペンスを大きく減殺する印象を受けたので、作品全体の評価も下げざるを得なくなった経験があります。
DPMNさんもご覧になっていたら、歯がゆく思われるのではないかと思います。
by: オカピー * 2006/07/31 17:12 * URL [ 編集] | page top↑
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>オカピーさん
コメントありがとうございます。
「蜘蛛の街」ですか、残念ながら観ていませんが、調べたらWOWOWでやっていたのですね。
鈴木英夫、記憶しておきます。
by: DPMN * 2006/07/31 17:49 * URL [ 編集] | page top↑
--初めまして--

初めまして。
「鳥」という映画は、ヒッチコック監督の代表作の1つですが、CGの無い時代によくこれだけのシーンが撮れたものと、作り手の苦労と熱意が伝わります(ヒロインを演じた女優さんの迫真の演技の裏話には脱帽:汗)。
この映画の中ではカメラの写し方も凝っていますが、鳥が暴れ回るシーンでは鳴き声や羽音で賑やかな反面、劇中でBGMが使われていないだけに、余計にこの映画の不気味さ、陰湿さが引き立ってますね。
鳥に蹂躙され命を落とす人々の描写は痛いですけど、逃げ込んだレストランでヒロインが地元の奥さんに事件を起こした元凶であるかのように罵倒される場面が一番悲痛ですね。罵倒されたヒロインは奥さんを平手打ちしますが、私だって彼女と同じ立場だったらそうするでしょう。自分だって被害者なんですから・・・。
責任転嫁、八つ当たり、部外者に排他的な村社会では特に多いと思いますが、そういう態度にこそ卑屈にならず毅然と対処する必要がありますね。

思えば私達人類は、生活を営むという上で自然環境を破壊し、多くの生き物の食糧や生活の場を奪っています。これからも地球上の生き物達と共存していく為にも、私達は自然環境を維持いていく事を心掛けないといけませんね。
by: A-chan * 2010/12/03 20:32 * URL [ 編集] | page top↑
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映画評「鳥」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)1963年アメリカ映画 監督アルフレッド・ヒッチコックネタバレあり プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]【2006/07/30 18:34】
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