「あの夏、いちばん静かな海。」を話題にしたとき、フレームの上手、下手について述べたのだけれど、もう少し詳しく考えてみることにする。

「別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ」
「舞台を遊ぶ」で別役は、「目に見えない空間の癖」のようなものが舞台には存在し、「舞台には上手から下手に風がゆるやかに吹いている」と述べている。
このことは映画のフレームにもそのまま敷衍することができる。
で、前にこのことを話題にしたときは、これを前提としてとりあげたので、深くなぜかとは問わなかった。そういうものだとされているからである。人の生理なのだと。
いろいろと説明しているものをみかけるが(人間の心臓が左にあるから云々等)、なんとなく説得力のあるものに、文章は左から右に書かれ、かつ読まれるもの、必然人はまず画面の下手から上手へと視線を走らせるものだとする説明がある。
とはいえ、日本人は文章を、縦書きの場合は上手から下手へ、横書きも昔は上手から下手へと書き、かつ読んでいたではないか。
いささか眉唾でもあるのだが、どうやら視線を走らせる方向性の傾向としては正しいようだ。なぜなら文字はともかく図像の場合、例えば人物の横顔を描いてくださいと言えば、ほとんどの人が左向きの顔を描くそうで、つまり左から右、下手から上手に視線を動かすことが自然なことのようだ。
視線が下手から上手に動くのは生理的に自然であるとすれば、なぜ下手から上手に風が吹いているのではなく、上手から下手なのだろうか?
こんなことを考えているときに、ふと頭に浮かんだのが映画のエンドロールのことだった。
エンドロールではキャストやスタッフの名前が、横書きで次々に下から上へとスクロールしていく。黒バックに白字というスタイルがポピュラーなようだが、まれに最後の画が残ってスーパーインポーズされたり、エンドロールバック用の画が用意されていてそれにスーパーインポーズされたりすることがある。
そのときの背景の画には決まりごとがある。決してティルトダウン/アップしてはいけない、フィックスの画が望ましい。
なぜなら、実際ティルトダウン/アップなりしたものを見れば一目瞭然だが、背景の画がティルトしはじめるやいなや、エンドロールのスクロールされるスピードが変化したかのように感じてしまう。もちろんこれは錯視なのであって、実際にローリングのスピードが変わるわけはないのだが、背景の画がローリングと順/逆方向に動くことでそのようなスピードアップ/ダウンを感じてしまう。
結論。つまり視線が下手から上手へと動く、それに対して上手から下手へとフレーム内を動く被写体は、それを迎えることになるので視認しやすく、おそらくスピードもアップして感じられる。
一方、下手から上手へとフレーム内を動く被写体には、視線が追いかけるような形になりスピードもダウンして感じられるのではないかとういことだ。
同じスピードでも上手から下手への動きのほうがスピードアップ(風にのっている=順路)しているように感じるのは、以上のようなことからである。

「別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ」
「舞台を遊ぶ」で別役は、「目に見えない空間の癖」のようなものが舞台には存在し、「舞台には上手から下手に風がゆるやかに吹いている」と述べている。
このことは映画のフレームにもそのまま敷衍することができる。
で、前にこのことを話題にしたときは、これを前提としてとりあげたので、深くなぜかとは問わなかった。そういうものだとされているからである。人の生理なのだと。
いろいろと説明しているものをみかけるが(人間の心臓が左にあるから云々等)、なんとなく説得力のあるものに、文章は左から右に書かれ、かつ読まれるもの、必然人はまず画面の下手から上手へと視線を走らせるものだとする説明がある。
とはいえ、日本人は文章を、縦書きの場合は上手から下手へ、横書きも昔は上手から下手へと書き、かつ読んでいたではないか。
いささか眉唾でもあるのだが、どうやら視線を走らせる方向性の傾向としては正しいようだ。なぜなら文字はともかく図像の場合、例えば人物の横顔を描いてくださいと言えば、ほとんどの人が左向きの顔を描くそうで、つまり左から右、下手から上手に視線を動かすことが自然なことのようだ。
視線が下手から上手に動くのは生理的に自然であるとすれば、なぜ下手から上手に風が吹いているのではなく、上手から下手なのだろうか?
こんなことを考えているときに、ふと頭に浮かんだのが映画のエンドロールのことだった。
エンドロールではキャストやスタッフの名前が、横書きで次々に下から上へとスクロールしていく。黒バックに白字というスタイルがポピュラーなようだが、まれに最後の画が残ってスーパーインポーズされたり、エンドロールバック用の画が用意されていてそれにスーパーインポーズされたりすることがある。
そのときの背景の画には決まりごとがある。決してティルトダウン/アップしてはいけない、フィックスの画が望ましい。
なぜなら、実際ティルトダウン/アップなりしたものを見れば一目瞭然だが、背景の画がティルトしはじめるやいなや、エンドロールのスクロールされるスピードが変化したかのように感じてしまう。もちろんこれは錯視なのであって、実際にローリングのスピードが変わるわけはないのだが、背景の画がローリングと順/逆方向に動くことでそのようなスピードアップ/ダウンを感じてしまう。
結論。つまり視線が下手から上手へと動く、それに対して上手から下手へとフレーム内を動く被写体は、それを迎えることになるので視認しやすく、おそらくスピードもアップして感じられる。
一方、下手から上手へとフレーム内を動く被写体には、視線が追いかけるような形になりスピードもダウンして感じられるのではないかとういことだ。
同じスピードでも上手から下手への動きのほうがスピードアップ(風にのっている=順路)しているように感じるのは、以上のようなことからである。
--マンガでも--
保坂です。
HDRからみで読んでますが、このお話、僕も非常に興味がありました。
マンガの場合も、コマの右から左手にベクトルがあります。
これが演出に非常に重要な役目を果たしていて、ほぼ言語的な役割をしています。
「視線力学の基礎――読者の〈目〉が漫画に与える力」『ユリイカ』第38巻1号(ISBN:4791701429)204-225頁
舞台のことにも気になっていましたが、やっぱりあるのだなぁと思った次第。
ちなみにテレビでは、上手側をゲストに譲り、下手側に進行役が座るのが常識だそうです。
#マンガでは、このベクトルを動きだけでなく、読者の感情移入やキャラクターの感情表現にも使います。
保坂です。
HDRからみで読んでますが、このお話、僕も非常に興味がありました。
マンガの場合も、コマの右から左手にベクトルがあります。
これが演出に非常に重要な役目を果たしていて、ほぼ言語的な役割をしています。
「視線力学の基礎――読者の〈目〉が漫画に与える力」『ユリイカ』第38巻1号(ISBN:4791701429)204-225頁
舞台のことにも気になっていましたが、やっぱりあるのだなぁと思った次第。
ちなみにテレビでは、上手側をゲストに譲り、下手側に進行役が座るのが常識だそうです。
#マンガでは、このベクトルを動きだけでなく、読者の感情移入やキャラクターの感情表現にも使います。
by: 保坂 * 2006/05/25 23:17 * URL [ 編集] | page top↑
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保坂さん>
はじめまして。映画の場合は色々制約(背景やライティング、編集など)がありますから、常にそうはできないんですが、意識的でなければいけないと思っています。感情移入や感情表現ですが、当然映画でも観ることができます。ルビッチの「天使」について、その観点から書いてますのでそちらの方もよろしければ御覧ください。
http://pointbreak.blog66.fc2.com/blog-entry-9.html
映画中心のブログですが、これからもよろしくお願いします。
保坂さん>
はじめまして。映画の場合は色々制約(背景やライティング、編集など)がありますから、常にそうはできないんですが、意識的でなければいけないと思っています。感情移入や感情表現ですが、当然映画でも観ることができます。ルビッチの「天使」について、その観点から書いてますのでそちらの方もよろしければ御覧ください。
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