撮影監督の映画批評

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

黄金のアデーレ 名画の帰還(サイモン・カーティス)

(ネタバレ注意)


映画は、マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)の回想を挟みながら進む。回想形式は、回想する人物(主人公)に優れて感情移入させることができる。なぜなら主人公は、われわれ観客と同じく「見る(振り返る)ことしかできない」からだ。
マリアが回想するナチによるユダヤ人弾圧を、彼女同様、われわれは「見ることしかできない」 
この「見ることしかできない」という受動性を奇貨として、われわれ観客は主人公マリアに感情移入する。

マリアと同じオーストリア人でありながら、彼女と同じようには見ることが出来ないランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)は、名画「黄金のアデーレ」の評価額を知り、金の為に引き受ける。
マリアとその夫の二人だけが家族を残し脱出せざるをえない回想を再現するかのように、彼女とランディが「黄金のアデーレ」を取り返すことなくオーストリアをあとにせざるをえなくなるそのとき、ランディは「いつのまにか」彼女と同じ視点/ルーツにあることに気づきトイレで嗚咽するのである。

このランディの気づきの後、彼らが「黄金のアデーレ」を取り返し、われわれ観客もまた溜飲を下げる。それだけでは凡百の映画とかわらない。この映画が見事なのは、その後マリアにもランディと同じ気づきを与えるからである。

ランディは金の為に引き受けるが、画を取り戻せないことで、取り戻すべき自らのルーツがそこにあることに気づく。そしてマリアは、叔母の画を取り戻せたことで、永遠に取り戻せないものに気づく。家族である。
回想で語り落とされていた父親の「忘れないでくれ」という言葉、しかし彼女が最も忘れたい家族を残してきたという事実。このアンビバレンツに涙が止まらない。
「いつのまにか」画を取り戻すことに、残してきた家族を取り戻すことを重ねていたことに気づき、そしてそれは決して出来ないことだと知る。

二度描かれる「いつのまにか」の気づきが、片やトイレの個室、片や喧噪から離れた部屋でなされる。後者でのマリアの寄辺なさの描写が素晴らしい。喧噪とのコントラスト。空っぽの空間。穿たれた窓から見られた家族が遊んでいる光景。そこに現れるランディに彼女でなくとも身を任さずにはいられない。
スポンサーサイト
  1. 2015/12/09(水) 00:29:43|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「いつのまにか」の描き方 | ホーム | 下町ロケット TBS版、WOWOW版との比較>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://pointbreak.blog66.fc2.com/tb.php/340-98210dfa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

Follow Me on Pinterest

メールフォーム

お問合せはこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。