撮影監督の映画批評

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ジョン・ウィック(チャド・スタエルスキ)

『ジョン・ウィック』は、復讐劇のフォーマットを借りてはいるものの、全く別物である。
本来復讐劇であれば、致命的な欠陥であるはずの動機の弱さが『ジョン・ウィック』を魅力的にしているのだ。

妻を殺されたわけでもなく、車を盗まれ犬を殺されただけのジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)に、ロシアンマフィアを皆殺しにするだけの動機は乏しい。せめて犬とのエピソードがある程度描かれていれば、納得できなくもないが、いかんせんそれもない。
復讐譚のカタルシスは、主人公とわれわれ観客に無力感を共有させることが必須で、主人公の行動が先送りされればされるだけ、いや増す。
しかし『ジョン・ウィック』では、観客が主人公と切歯扼腕する機会は奪われていて、さっさと復讐に向かうジョンに観客は置いてけぼりにされるのだ。
そもそも復讐劇として成立させるなら、犬ではなく妻が殺されたことにすればいい。

置いてけぼりにされた観客が次に気づくのは、ヨセフとその取り巻き連中以外の誰もがジョンのことをよく知っていて、(決して誇張ではなく)誰もがジョンの行動に納得していることだ。つまり、ヨセフとその取り巻き、そしてわれわれ観客だけが知らないのである。
この伝でいけば、観客が感情移入すべきはヨセフらということになる。が、もちろんこのようなクズに感情移入などしたくもないし、できない。なぜなら観客は、ヨセフらと同じくジョンのすごさを知らないが、ヨセフらとは違ってジョンのすごさを見くびらないからだ。
つまり観客はここで、ジョンのすごさを(知らないくせに)認めざるをえないのである。
あとは「ほらみたことか、言わんこっちゃない」とジョンの活躍を見ていけばいい。

十秒毎に手をたたくのをひたすら繰り返す奇妙な男がいた。なぜそんな変わった事をするのかと尋ねると、彼は
「象を追い払うためさ」と答えた。
「象をですか?でも、どこにもいないじゃないですか」と聞き返すと、すぐさま彼は
「そのとおり。見たとおり僕が追い払っているから、ここにはいないのさ。でも、象たちがここへ二度と戻らないようにするためには、こうやり続けなくちゃならないわけだ」と答えた。

『悪循環の現象学―「行為の意図せざる結果」をめぐって 』(長谷正人)


十秒毎に手をたたく効果を知らないのは、ヨセフらと、われわれ観客である。そしてわれわれ以外の誰もが十秒毎に手をたたいているのに接して、理由はわからないが十秒毎に手をたたき、その効果に感心するのがわれわれ観客である。
これは自己成就的予言といわれるもので「たとえ誤った認識や先入見であっても、それを信じて人々が行為すれば、それは本当のことになる」のである。

復讐は映画にとってもジョンにとっても口実にすぎない。先に述べたように復讐劇ではアクションは出来る限り抑制されなければならない。しかし作り手チャド・スタエルスキも、主人公ジョンも、純粋なアクションをやりたい/昔のように殺人衝動を満足させたいのである。
ゆえに復讐劇としては成立していないのだが「たとえ誤った認識や先入見であっても、それを信じて人々が行為すれば、それは本当のことになる」のである。

いつのまにか。



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  1. 2015/10/24(土) 16:37:32|
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著書

プロフィール

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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