撮影監督の映画批評

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「J・エドガー」(クリント・イーストウッド)

(ネタバレあり)
 映画は、J・E・フーバー(レオナルド・ディカプリオ)が、自身の回顧録を口述筆記させる現在と、そこで語られる過去とを平行して描いていく。ラスト、トルソン(アーミー・ハマー)が指摘するように、そこで語られるのはフーバーにとって都合良く脚色されたストーリーだ。つまりフーバーは「信頼できない語り手」であるということ。
 白い馬は横切らなかった。横切ったのは、年老いたトルソンの型板ガラス越しのシルエット。フーバーの口述を躊躇わせたのは、白い馬ではなく、トルソンだった。
 白い馬とトルソンのシルエット(黒)に仮託されるフーバーのためらいの描写も見事だが、さらに巧いと思ったのは、口述の冒頭だ。
 パーマー司法長官宅の爆破テロ。若きフーバーは、その現場で警察と話し込むパーマー司法長官を見る。そしてそこに落ちているビラを見つけ拾う。そのフーバーの姿をパーマー司法長官が見て、自分の部下だと警察に説明する。フーバーが再び顔をあげ、パーマー長官の方を見るとすでに彼らはフーバーの方を見ていない。
 これこそフーバー(信頼できない語り手)が、そのように見てもらいたい姿そのものである。人知れずやったはずのことを、実は見ている人がいた。この話形のもつ誘惑はフーバーならずとも抗いがたい。人は人知れずやったことこそ、人知られたいものなのだ。

 フーバーが鏡の前で女装するのは、回顧録を閉じたのちのフラッシュバックで示されるが故に感動的だ。鏡と言えば、この「J・エドガー」ほど鏡を利用した演出がなされているイーストウッド作品を他に知らない。どれもさりげなく、エドワード・ヤン的な鏡の使用(盗聴器を仕込みにいくところや、トルソンにスーツを見繕ってもらうシーンなど)もあって、リフレクション好き(私)には最高の映画である。
 
 フーバーが亡くなったと知らせを聞いたトルソンが、玄関からメイドに案内され階段をのぼり、部屋のドアをあけ、調度品の間を縫って、ベッドわきで横たわる遺体に辿り着くまでが、執拗なまでの丁寧さで描かれる。これがイーストウッドの天才なのだ。イーストウッドでなければ、遺体に辿り着くまでの描写はそこそこに、対面してからのトルソンの嘆きを延々と撮るだろう。イーストウッドにおいては、それが顛倒している。そこでなされる嘆きの演技よりも、それに至る迂回にこそエモーショナルなものがあるのだという演出は、なかなか真似できるものではない。
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  1. 2012/03/06(火) 19:32:58|
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映画批評『J・エドガー』「人が歴史を作る」という視点。

■2011年/アメリカ/シネスコサイズ/137分 ■制作プロダクション:イマジン・エンタテイメント、マルパソ 監督・製作・音楽: クリント・イーストウッド 脚本:ダスティン・ランス・ブ...
  1. 2012/11/01(木) 14:34:05 |
  2. 天動説/映画批評(仮)

まとめ【「J・エドガー」(ク】

(ネタバレあり) 映画は、J・E・フーバー(レオナルド・ディカプリオ)が、自身の回顧録を口述筆記させる
  1. 2012/11/19(月) 11:28:05 |
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著書

プロフィール

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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