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「カーネーション」第7週「移りゆく日々」(第42話)
 朝ドラの「カーネーション」が面白い。とくに今回の42話の完成度は傑出していて、凡百の映画より見事な演出だと思った。
 唄の稽古をつける善作(小林薫)は、すでに一人だけになってしまった弟子に今日で終わりにさせてくれと告げる。弟子は実を言うと一人になってしまってやめるにやめられなかったのだと言って承知する。このシーンがただの前フリに堕してないのは、この弟子の言い訳だ。この言い訳は、売るものがなくなっても尚小原呉服店をやめるにやめられなくなった善作本人に重なる。それを受けての「千秋楽」とのセリフだから味わい深い。
 そして我々視聴者は電器屋で布に包まれた看板らしきものを見る。誰もがそれがなにであるか即座にわかるというのに、それをこの回では一切見せない。わかっていても、あえて見せないことで(ドラマを)見せる。料亭でも、善作が何を商店街の人々に告げたのか誰もがすでにわかっているのに、あえて聞かせない。そのことで(ドラマを)効かせる。(まるでエルンスト・ルビッチの演出を見るようだと言えば、褒め過ぎか)
 善作が朝の光あふれるなか店じまいをし、最期に感慨深げに看板を見上げる。すばらしいのは、ここで妻の千代(麻生祐未)が善作を家のなかから見つめていることだ。対峙しているのに視線が交差しない。そして2人の間には、善作が見つめている看板ではなく、しっかりとミシンがフレーミングされている。このカットバックに看板がインサートされることはもはやない。
 見ている人を見るのは我々視聴者であって、ここでの千代、そして料亭での奈津(栗山千明)がそうなのだ。この一つ引きこもった視線は本来映画の得意とするところのものであるはずだが、まさか直接的なわかりやすさを第一義とするテレビドラマ(しかもたった15分)で見るとは思わなかった。
 
2011/11/20(Sun) | 演出 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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