撮影監督の映画批評

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3D映画とPOV映画の親近性

 自分が若いうちはブームになるものを軽佻浮薄だと憂うのが、らしくなく逆に格好いいと思っていたが、いつのころからか、らしさをともなう年齢になるにつれ、逆に新しいものに理解ある風を装うようになってきた。しかしそれもただおもねるだけのようでキモい。
「若くても美しくなければ何にもならないし、 美しくても若くなければ何にもならない」(ラ・ロシュフーコー)
 であれば、まぁ思ったように述べましょう。まだ/もう38だし。

 今年は3D映画元年といわれているらしく、3D映画が目白押しである。「アバター」(ジェームズ・キャメロン)の大ヒットがこのブームを牽引している。
 一方、POV映画(全編主観撮影、一人称視点)と呼ばれる一連の作品群が、2年前に公開された「クローバー・フィールド/HAKAISHA」(マット・リーヴス)を筆頭にして3Dほどではないにしてもつづいている。
 どちらも何度か試みられその都度忘れさられた過去をもち(3Dは50年代と80年代の2度、POV映画は「湖中の女」(ロバート・ モンゴメリー)「視線のエロス」(フィリップ・アレル)など全編となると数少ないが)、そして現在当時にはなかったテクノロジー(3Dは撮影技術、POV映画はホームビデオの普及)によって再度ブームを迎えている。が、その経緯はまぁどうでもいい。
 たしかに「アバター」は、面白く観ることができた。しかし162分の上映時間は、はじめにあった3D映像の新鮮な驚きを減衰させるのに十分だった。3Dであることを忘れて/見慣れてしまって、あたかも2Dで観ているかのようだった。それが映画の価値をさげるわけではないが、不思議に思ったのだ。例えば主人公ジェイク(サム・ワーシントン)が翼竜にのって空を飛ぶシーンにさしかかると、3Dゆえのスペクタキュラーな光景を否応なく期待してしまうのだが、さほどでもない。なぜなら飛翔する空中における視覚対象ははるか遠方に退くのであって、そうした遠景は限りなく2Dに近づくからだ。しかし、かように3D感の出にくい被写体/構図ということでもあるだろうが、それ以上に見慣れてしまったことの方が大きいのではないかと思いいたる。その一方で、3Dであることを忘れさせること、それ自体が3Dの効果だったのだといえなくもない。はたしてどちらなのだろうか。あるいは。
 
 3Dにおいて達成される立体感、奥行きは、フレームにたいして擬似的に計られる。不動のフレームに対して奥にあるいは手前に位置するかのように錯視させる。そのことがあたかもスクリーンと観客席の間にある物理的な距離をもつ空虚をうめるかのような効果が目指されている。言い換えれば、映画内の世界をスクリーンと観客席の間で展開させようとしている。臨場感とは、観客席に迫ってくるものと考えられているように、そこには観客席という定点が基本にあるのだ。
 POV映画の目指すところも大体そのようなものである。観客席からの視点のまま、映画内の世界が展開される。ここでもまた観客席という不動の定点が基本になっている。

 映画は、すべてがそうだとは言わないが、古典的ハリウッド映画がそうであるように、観客を主人公に感情移入させることで物語を紡いできた。POV映画のように、見られるもの(対象)だけを示すのではなく、見るもの(主体/主人公)も示し編集していく。観客は主人公の見るものを見るというかたちで主人公に感情移入し、映画内世界に参入する/おり込まれるのである。そこに観客席はもはやない。観客席にいるままに目の前で展開されるのではなく、観客席を離れ映画内世界に没入するのである。

 3D/POV映画のベクトルがスクリーンから観客席にのびるのに対して、伝統的な物語映画のベクトルは観客席からスクリーンへとのびる(その際観客席は消える)。

 であれば、「アバター」にて3Dであることを忘れてしまったのは、3Dに対する古典的映画編集の勝利なのではないだろうか。
 
 
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  1. 2010/05/02(日) 11:01:53|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

慣れと不足の境界線

アバターにおける「3D慣れ感」とでも言うものは、
それが徹底して誇張されず自然な表現になっていた事の証ではないかと。
実際、3D版を観たあとに2D版を見ると、
映像として出来が悪いわけでもなく、むしろ過剰なほどの情報量があるのに
びっくりするくらい平板な作りに見えました。

もっとも、3Dで観ている事を忘れる事が出来たのは
RealD方式の軽いメガネだったからかもしれません。
Xpandの厚くて重いメガネだったら
また違う感じ方してたかも…
  1. 2010/05/02(日) 14:44:56 |
  2. URL |
  3. とーい #-
  4. [ 編集]

>とーいさん
コメントありがとうございます。
たしかにおっしゃるとおりかもしれません。

>実際、3D版を観たあとに2D版を見ると、
映像として出来が悪いわけでもなく、むしろ過剰なほどの情報量があるのに
びっくりするくらい平板な作りに見えました。

とのことで、私は3Dでしか観ていないのでわからないのですが、そうなのだと思います。
しかし2D版の「びっくりするくらい平板な作り」も、私が3D版でうけた「新鮮な驚き」が減衰していったように、見慣れていったのではないでしょうか。
ちがっていたらごめんなさい。
  1. 2010/05/02(日) 16:02:03 |
  2. URL |
  3. NAKAZAWA #-
  4. [ 編集]

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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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