撮影監督の映画批評

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「セントアンナの奇跡」(スパイク・リー)

 スパイク・リーの作品とは相性が良くないようであまり面白いと思わなかったのだが、「セントアンナの奇跡」で過去に遡るまでの現在だけは例外になりえたかもしれないと思わせるものがあった。

 現在はニューヨークとローマを、事件を告げる新聞で繋ぐ。
 冒頭、ニューヨーク、ドアの横幅くらいしかない狭い廊下を床スレスレにキャメラはトラックアップしてゆき、次にその部屋の主である主人公、ヘクター(ラズ・アロンソ)を捉える。
 ローマでも、同じように廊下スレスレにキャメラがトラックアップしてゆくのだが、次に捉えられるその部屋の主は、ナチの画だけを扱う画商であって物語には直接関係のない人物。その画商がニューヨークとローマを繋ぐ新聞を読み出すも恋人に迫られ、新聞は窓外に落とされる。その落ちた先にいた男(ルイジ・ロ・カーショ)がそれで事件を知り、手にしたコーヒーカップを思わず落としてしまう。
 さて、この画商のシーンは必要だったのか?
 物語は必要としないが、映画は必要とする。つまり映画的なシーンである。
 ただオープンカフェで新聞を読む男が事件を知るというだけだとしたら、どれだけ味気ないか。
 新聞が告げる事件が2つの都市を繋ぐだけではなく、ドアに向かって廊下スレスレをトラックアップするキャメラというフォルムが2つの都市を繋ぎ、さらにはナチの画を介することでアメリカ、ドイツ、イタリアの3国を経由し、新聞の落下とコーヒーカップの落下というフォルムが媒介する画商と男を繋ぐ、またそうして男のもとに新聞がもたらされること自体が奇跡であるし、映画のテーマが凝縮されている。そして新聞を手に走る男が蹴る水たまりのフォルムと兵士が踏む水たまりフォルムで現在から過去へと物語を紡ぐ。

 成瀬巳喜男の「三十三間堂 通し矢物語」で、主人公がスランプに悩み爺やを叱責し振り返ると、矢が的に当たる画にカットされ、それは町中の矢場でありシーンが変わったことがわかるという繋ぎがある。キャメラはその矢場の外に出て、そこに通りかかる主人公とそれをつけ狙う男等の喧嘩を捉える。つまり矢場の中のカットは、(続く矢場の前の道が舞台なのだから)このシーンの舞台では全くなく物語上は不要である。が、しかし映画的なのだ。
 あたかも主人公の振り返りの動作が矢を的に当てたようなエモーショナルな繋ぎ、そして矢場があるような繁華街であるという状況説明、真剣な主人公と遊びのコントラスト。
 言うまでもなくこれもいきなり道に繋がれたとしたら、どれだけ味気ないことか。
 
 (何度目になるか、また)イーストウッドの言葉を引いてみる。

2人の人物が出ている場面がたくさんある。それから町で何かが起こる場面がたくさん。一番手っ取り早いのは、ロングショットとクロースアップを撮ること。難しいパートはその中間にある結合組織です。カメラでどのように場面を結合させるか、それをどうやって結びつけるか


 映画とは、中間にある結合組織にこそ求められる。



 
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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/10(月) 01:18:14|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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