撮影監督の映画批評

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「恋しくて」(ハワード・ドイッチ)

 完璧な映画をあげるとしたら外すことの出来ない映画。

 映画は前半、キース(エリック・ストルツ)が、ハーディといるアマンダ(リー・トンプソン)を見つめる描写を重ねる。ハーディとアマンダを結ぶ一辺からはじかれた頂点としてのキース。トライアングルを描く為にハーディは必須の頂点であるから、常にキースはハーディといるアマンダを見ることになる。
 並行してワッツ(メアリー・スチュアート・マスターソン)がキースを想う描写もあるが、まだトライアングルとして描かれることはない。
 
 そして映画の転轍点であるが、そこではまず「ハーディとアマンダを見るキース」というトライアングルが描写され、その中でハーディとアマンダが仲違いをし、キースがアマンダを誘う。トライアングルの一辺を見つめる頂点であったキースが繰り上がり、アマンダと新しく一辺を結ぶ。そこではじかれたのはハーディであるが、映画はハーディではなく、新しい頂点としてその一辺を見つめるワッツにトラックアップするのである。ここで新しいトライアングルにシフトされた。この後、前半で執拗に繰り返された「ハーディといるアマンダを見るキース」というトライアングルと相似形である「アマンダといるキースを見るワッツ」というトライアングルが反復される。
 
 観客はそこから排除された頂点と共にトライアングルを構成する、見ることしかできないという無力感を共有して。
 であるから、そのポジションが繰り上がることで観客の偽の能動性が満たされる。
 しかし、それはあくまで偽の能動性にすぎない。キースとともに映画の世界を生きようとしても、キースと違い我々観客はそれを見ることしか出来ない。その新たな無力感を共有するのがワッツというわけである。
 
 切なさとはこの距離感であり、見ることしか出来ない観客の切なさである。
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  1. 2009/05/29(金) 02:44:45|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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