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「ゼラチンシルバーLOVE」(操上和美)
 (ネタバレ注意)
 運河をはさんで女(宮沢りえ)をビデオカメラで監視する男(永瀬正敏)という設定。男の職業がカメラマン。ラスト、フラッシュにて撃退・・・というのはヒッチコックの「裏窓」を、
 ゆでたまごを食べる殺し屋というのは、飯の炊ける匂いが好きな殺し屋の鈴木清順「殺しの烙印」を、想起させる。

 映画は男の監視している視点を守り、女のいる部屋とカットバックするようなことはない。女の姿はRECマークを含むビデオカメラ視点からとらえられ、観客も男の側から女を見る。
 しかし、ビデオカメラ視点というエクスキューズがありながら、やがてその視点が被写体にあきらかに近づくのだ。女がゆでたまごを食べるのをスローでとらえるクロースアップは、男のいる位置からは決してとらえられない。それはレンズの能力の問題(サイズの問題)ではなく、被写体との距離の問題なのだ。あの「美しい」クロースアップはしかるべき距離を介してしか撮影することができない。そのしかるべき距離とは、決して運河を隔てた距離ではなく、すぐ目の前の距離感である。もし距離を隔てて撮影しようものならあの艶かしい立体感は即座に失われるのだから。
 では、これはただ審美的な優先であり映画のトリックにすぎないのだろうか。
 男はビデオにうつったその女の姿を、銀塩カメラで再撮する。
 その現像を終えた男は、夢かうつつか彼女の部屋に紛れ込み、そこでシャッターをきる。
 女=被写体との距離の違和感は、このモノクロームのなかでシャッターをきる男の距離感を先取りしていたからなのだ。

 男は、街のなかで「美しい」ものを撮る。その何枚かがモノクロームのスティルとしてインサートされるのだが、その一枚に男自身のうしろ姿がある。男自身には決して撮れない写真。
 
 カメラを構えている男の撮る写真が、ある時は構えている男のいる位置よりはるか前方で被写体に接近して撮られ、ある時は構えている男のいる位置より後方で撮られることで男までも被写体にする。

 撮るとはそういうことである。
 
2009/04/10(Fri) | 映画感想 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
コメント
--卵を食べる女--

 操上和美さんの写真は昔から好きだったので、
どんな映画になるのかな、と思っていましたが
写真家としてのセンスが十全に活かされた、と
ても良い作品になっていて嬉しかったです。
 「網走番外地」のチョイスにも、ちょっと
やられちゃいましたね。

by: gadget * 2009/09/24 19:29 * URL [ 編集] | page top↑
--Re: 卵を食べる女--

>gadgetさん
コメントありがとうございます。
操上さんには私が助手時代何度か就かせていただいて、当時とても勉強になりましたし、すごく影響を受けています。とてもくだらないことですが、キャメラマンによってパン棒の好みの位置というのがそれぞれありまして、操上さんは水平に真っすぐなんです(私はこれを真似しています)。で、映画の場合スイッチは助手にまかせるのが慣習になっていますが、(CMの際)操上さんはパン棒の付け根にスイッチを取り付けさせて、あたかもスチールのシャッターをきるように自分でオンオフされるのです。等々まぁ挙措の一つ一つがとにかくカッコいい。
キャメラマンの中には、ファインダーをのぞいたままキャメラを右だ左だなどとフレームに迷う人がいますが、操上さんはまず肉眼で被写体と対峙して、ここだと言って助手にキャメラを据えさせるとまずポジションに変更がありません。簡単なようですが、これがなかなかできないんです。
by: NAKAZAWA * 2009/09/25 15:57 * URL [ 編集] | page top↑
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