撮影監督の映画批評

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「永遠のこどもたち」(J・A・バヨナ)

(ネタバレあり)
 オープニング、子供たちがスペイン版「だるまさんがころんだ」で遊んでいる。この遊びは日本だけでなく各国にあるようで、鬼が振り返ったときに静止していなければならないというルールも同じらしい。
 後半、ラウラ(ベレン・ルエダ)が息子シモンを取り戻そうと、かつて一緒に孤児院時代を過ごし今はもう生きてはいない仲間と再び「だるまさんがころんだ」で遊ぶ。このふりかえりにあわせてなされるパンが怖い。
 この怖さはマスクとしてのフレームがパンニングよって、アンマスクされることにある。
 でありながら更に怖いのは、アンマスクされたフレームに何もないこと。
 つまりアンマスクされたフレームによって新たにマスクされるオフフレームが生まれる。
 マスクとしてのフレームが更新されることによって亢進される怖さ。
 「だるまさんがころんだ」も、鬼がマスクしているところで進行し、ふりかえり=アンマスクと同時に静止され、見ることができない。ただその動きのしっぽをとらえようとするふりかえり。
 ふりかえったときにはすでにそこにはないが、それでもふりかえる。それがふりかえりそのもののもつ魅力である。ふりかえった先に実際あるものには、それほどの魅力はない。
 以前、成瀬巳喜男の「乱れる」にふれて、ふりかえれどもふりかえれども対称性が遠のいていくのがメロドラマであり、であるから成瀬のふりかえりは魅力的なのだと述べた。
 映画、はふりかえった先をではなく、ふりかえりそのものを魅力的にみせなければならない。

 他にも、「宝探し」と称してラウラがこどもたちに翻弄されるのも2度繰り返される。隠し場所のヒントになるようなものを辿っていくと、そこには次の隠し場所をしめすヒントがあり、それを辿っていくとさらに・・・。
 その度見つけられるヒント自体はつぎの隠し場所をしめすにすぎず、それ以上の意味はさしてない。
 決定的なものを先送りにすることで生じる未決状態自体を遊ぶ。そんな子供の遊びと映画との相似。
 ただしその決定的なものは些かも決定的である必要はなく、決定的であるというとりきめさえあればよい、むしろその方がよい。マクガフィンである。
 
 いくつか解せない演出もあった。例えば、ラウラをバスルームに閉じ込めるトマスの描写。ラウラの見た目で捉えられる廊下の奥のトマス、不気味である。しかし、続くカットでそのトマスの近づきをトマス越しのキャメラでトマスに寄り添って移動する、怖くない。
 夜中物置小屋から音がして、それを確かめるべく近づくラウラの描写も、キャメラ位置や引き画の使い方にユルさが感じられる、等々。
 とはいえ、十分怖がらせてもらい満足。
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テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/12/21(日) 13:27:11|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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