撮影監督の映画批評

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「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(山中貞雄)

 名作中の名作。1つ前のエントリーで、マックス・オフュルス「たそがれの女心」の耳飾りは、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の「こけ猿の壷」であると述べたが、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」を単独で語るなら「こけ猿の壷」は青い鳥だろう。

 冒頭の3シーン(「こけ猿の壷」の秘密を明かす老人の居室、柳生藩の藩主対馬守の居城、江戸表の家老宅)を、間に実景をブリッジして、あたかも1つの会話のごとく繋いでいるのが素晴らしい。「市民ケーン」でもケーンの子供時代から大人へのつなぎが、サッチャーとケーンが会話するかのごとく、メリークリスマスとハッピーニューイヤーで繋がれていたが、オーソン・ウェルズでさえ2シーンを繋ぐだけなのだから、山中貞雄の天才は言うまでもない。
 3シーン1カット(画)ではなく、3シーン1ダイアローグ(音)とでも言おうか。
 柳生対馬守(阪東勝太郎)の家臣、高大之進 (鬼頭善一郎)が、老人、対馬守、江戸表の家老の3人を、あたかも同じ1人を相手にするかのごとく応対し3シーンが展開する。であるから、ブリッジ部分の実景に重なり3人を媒介する高大之進セリフは、前のシーンのズリ下げ分なのか、続くシーンからのズリ上げ分なのか判然としないアンビバレントなセリフである。

 シーンのつなぎで、「逆手の話術」と言われる手法に触れないわけにはいかないだろう。否定するセリフでシーンを終え、続くシーンで否定していたはずのことが反故にされている。身寄りのない子供を引き取る引き取らないで「逆手の話術」を駆使するのは、小津の「長屋紳士録」でも見ることができるが、その話術では山中貞雄に一日の長があろう。
 さて、それは専ら、ちょび安 (宗春太郎)をめぐって丹下左膳(大河内傳次郎)とお藤(喜代三)との間の言い争いで発せられるのだが、ややもすればクドいほど頻発させるのはなぜか?

 山中貞雄が河原崎長十郎に語った言葉「一つの写真にアップが一つあればそれだけ効果があるのや、二つあれば、それが半分になる訳やろ・・・」

 六十両の返済に言い争いをはじめる丹下左膳とお藤、クドいほど繰り返されてきた「逆手の話術」を用意するかにみえて、さにあらず、隣の部屋でそれを聞いていたちょび安が、書き置きを残し去って行くのだ。「逆手の話術」が繰り返されないこの空白。この寂寥を際立たせるための笑い。

 メガネの玉が1つ余るから人間の目は2つあるというちょび安の論理は、もちろん隻眼の丹下左膳に対して発せられたものであるし、その場を望遠鏡という単眼で覗かれもするからこそでもあるが、この原因と結果を顛倒させる思考に山中貞雄のエッセンスがあるように思えてならない。

 道場破り撃退の芝居の後、別室にて柳生源三郎(沢村国太郎)から六十両受け取る丹下左膳、そこにやってくる源三郎の妻、萩乃、二人はまた芝居を始める。そこで萩乃の単独ショットにカットされる。その萩乃が満足げに微笑み、頼もしい夫を見つめるその表情。こんな幸せに満ちたカットが映画史上あったであろうか。
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テーマ:邦画 - ジャンル:映画

  1. 2008/10/16(木) 16:52:00|
  2. 映画感想
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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