撮影監督の映画批評

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「スティング」(ジョージ・ロイ・ヒル)

 何度目になるだろうかDVDにて再見。
 列車の中でのポーカーで、ロネガン(ロバート・ショウ)は、ゴンドーフ(ポール・ニューマン)から片時も目を離さない。酔っぱらったフリをして勝ち続けるゴンドーフは、ロネガンや周囲の視線に無防備である。ロネガンは自分の仕掛けるイカサマをゴンドーフに見られていないかを見る。
 ロネガンにとって、見る側に立つことは優位に立つことである。であるから、強迫的にゴンドーフを見続け、自らのイカサマは決して見られないよう監視する。見られることなく見ることが力の隠喩なのだ。

 脚本のデイヴィッド・S・ウォードは、メイキングのインタビューで次のように言っている。

詐欺師の魅力は無法者でいながら道義的である点だ。暴力を使わないし、盗みもしない。カモ自身の欲を逆手に取る。無意識のうちに、目的は金儲けだが結果的に地位ある人々の偽善や欲深さをさらけ出すことになる


 ロネガン自身の欲とは、見られることなく見ることでゴンドーフを支配することである。そしてそれは見事に逆手に取られる。なぜなら、ロネガンが(見られることなく)見ることは、ゴンドーフが(見ることなく)見られることに、すでに織り込まれているからだ。
 
 このロネガンとゴンドーフの関係に類比的なのが、観客と映画の関係である。
 つまり、我輩もまたカモである。
 
 観客は、ロネガンと同じく常に画面を見続ける。
 映画は、ゴンドーフと同じく観客の視線に無防備である。ゴンドーフがロネガンと視線を合わせないように、映画の登場人物もまた観客=レンズ目線はタブーである。
 観客は、ロネガンがゴンドーフを出し抜く自身のイカサマを見られることなく見てほくそ笑むように、映画そのものより一歩先んじて、「そうか、もうこれからどうなるかわかったぞ!」と思いたがる。
 映画はその観客自身の欲を逆手に取り、我々を気持ちよく騙してくれるのだ。
 
 観客は、ロネガンを騙す側で見ていることで、フッカー(ロバート・レッドフォード)とFBIが謀るのも同じ側で見ていると信じて疑わない。もちろんそれは逆手に取られる。

  
 
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テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

  1. 2008/09/29(月) 00:56:01|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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