撮影監督の映画批評

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「おくりびと」(滝田洋二郎)

 (ネタバレあり)

 オープニング、厳かな空気に包まれるなか、自ら命を絶ったらしいまだ若い女性の遺体と対面する大悟(本木雅弘)は、「美しいのに」とひとりごつ。その言葉を受けるように佐々木(山崎努)が一言「やってみるか」と声をかける。
 この佐々木の一言が一瞬ネクロフィリアじみて聞こえもするのだが、「はい」と答え粛然と納棺の儀式をすすめる大悟を目にして、不謹慎な考えだったと慌てて撤回する仕儀に。
 しかし、粛々と作業を続ける大悟の手が止まり、ないはずのものがあることを認めると、一気に下世話な雰囲気になる。前言撤回の撤回。「やってみるか」の一言に躓くのは、つづくオチへの目配せになっているからであった。

 オープニングの後、時は遡りそこに至るまでの経緯を描いていくことになる。大悟は迷いながらも納棺師としてやっていくことを決意し、オープニングのシーンに追いつき、それがリフレインされる。
 その契機となるのが「やってみるか」の一言である。
 もはやオープニングにあった躓きはない。
 オープニングにあった笑いの要素は省かれ、納棺師として成長した大悟の所作のみが描かれる。続くオチも、ニューハーフゆえの夫婦喧嘩ではなく、ニューハーフゆえに生前はまともに見ることのできなかった息子の顔をおかげで見ることができたという父親の感慨に変わっている。
 この全く同じシーンを、オープニングとは全く別ものにしているのは何か?
 それは、(それゆえオープニングなのだが)オープニングにはなかったこのシーンに至るまでに積み重ねられてきたシーンであり、その記憶である。
 あるいは、ニューハーフというダブルミーニング、遺体(死/体)という不在(死)の存在(体)が両義性の中心にあると言ってもいいのかもしれない

 意味を変え繰り返されるのは、これだけではない。
 妻の美香(広末涼子)が大悟の仕事を受け入れるのは、銭湯のおばちゃん(吉行和子)が亡くなり、その納棺の儀を勤める大悟を目の当たりに見るからだ。
 なぜ見ることがそれほどの説得力を持ち得るのか?
 それは正確に、大悟が佐々木のそれを見て納棺師になることを決意した眼差しに重なるからである。
 またラストでは、大悟が自らの手で実父に施す姿を、再び美香が見つめる。この美香の眼差しが、もしこの場になかったならば、これだけの感動もないだろう。なぜなら以前の眼差しとは、その意味を変えているのだから。
 そしてあのフラッシュバックも繰り返される、今度は像を結んで。
 納棺の儀を経て初めて、父親の顔を見ることができるのは、ニューハーフの息子の顔をようやく見ることができたと語った父親と重なる。
 
 繰り返されるものには、一度目の記憶(とそれ以降の記憶)が付着している。
 
 
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テーマ:おくりびと - ジャンル:映画

  1. 2008/09/25(木) 15:37:28|
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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