撮影監督の映画批評

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「サン・ジャックへの道 」(コリーヌ・セロー)

 DVDにて再見。
 教師のクララ(ミュリエル・ロバン)は道中、ラムジィの失読症を直してほしいと依頼されるが、すげなく断る。かわりにカミーユが教師役を買って出て、ラムジィを教えるのだが、それを見ていたクララは、その要領を得ないやり方にイライラさせられる。
 その場では垣間見ること以外、何もできないクララのあり方は、観客のそれと同じである。
 世界から引き離すこと。世界をただ見ることしかできないように登場人物を持って行くこと。そこに我々観客は、スクリーンから引き離され、ただ映画を見ることしかできない我々自身を見る。
 そして見るに見兼ねたクララがついにラムジィに教えるのを見て、我々は我々自身がそこにいてラムジィを教えているような多幸感を味わうのだ。
 そこでクララは、自分でなければできないという形で、世界に参加する。
 
 「出世フリーク」のピエール(アルチュス・ド・パンゲルン)は、坂道でもういやだとリタイアを主張する。ひとり離れているピエールのもとに駆け寄るガイドのギイ(パスカル・レジティミュス)、私だって帰りたい君だけじゃないんだと諭す。その光景は途中からその成り行きを見守る一行から視点となり、音が途絶える。座り込み話し込む2人を見つめる仲間。
 見られている2人。そこに注がれる眼差しは、坂の上で待つ仲間たちのものだが、世界の眼差しでもある。さらに言えば、主を持たない/始点のない眼差し。
 ここでピエールは、自分だけじゃないという形で、世界に参加する。

 ラスト、海辺で母親の死を告げられるラムジィを、小高い丘から一行は見守る。その時ラムジィを捉えるカメラはその一行の視点=俯瞰をとらない。カメラはラムジィを彼と同じアイレベルで捉える。一行の視線とは重ならないその光軸。でありながら、ラムジィは見られている。我々観客は、見られているラムジィを見るのだ。ただラムジィを見るのではない、見られているラムジィを見る。世界に見られているラムジィを。


 
 
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テーマ:ヨーロッパ映画 - ジャンル:映画

  1. 2008/09/25(木) 01:28:04|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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