撮影監督の映画批評

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講義録のかわりに?成瀬巳喜男「乱れる」?

 撮影講座ということで授業を受け持っている。ただ受講している生徒さんたちは、監督志望の方たちばかりであるから、あまり技術的なことをお話しても仕方がない。なので(何がなのでだか、わからないが)成瀬の「乱れる」のある部分を実際に撮影(コピー)してみる。
 その部分は、おそらく8畳2間続きの和室のみで展開され、役者は幸司(加山雄三)、礼子(高峰秀子)の2人のみ、何か小道具に頼るような演出は一切ない、キャメラは移動せず、パンが数回あるのみで全てフィックスで撮影されている。
 教室を「ドッグウィル」や「善き人のためのソナタ」みたく、白パーマセルテープで8畳2間に区切り、パーテーションを襖がわりに配置する。あとはカメラと俳優コースの役者さん男女2人に協力してもらうだけでよい。
 あらかじめ採録しておいたその部分のシナリオを配布し、早速当該シーンを観てもらう。


幸司「義姉さん、じゃあ言おうか。俺がなぜあんな女と遊んでるか、なぜ会社を辞めたのか」
礼子「あなたは世の中に甘えてるのよ。生活というものが、どんなに大変なものか、あなた知らないのよ。もし知ってたら転勤くらいで会社辞めてくるものですか」
幸司「義姉さん、俺はここにいたかったんだ。義姉さんのそばにね。卑怯者だと言われたくないから俺は言うよ。俺は義姉さんが好きだったんだ」
礼子「何を言うの、孝司さん。ばかなことを言うものじゃないわ。あなたはこないだの晩、私がこの家で十八年間も犠牲になったって言ったわね」
幸司「言ったよ」
礼子「でも私は一度だってそんなこと考えたこともなかったわ。夫は戦争で死んだけれど、私は夫の遺志を受け継いで今日まで生きてきたのよ。焼け跡のバラックがこんなお店になったのよ。その間にお義父様もお亡くなりになったけど、久子さんがお嫁にいき、孝子さんが結婚して、みんな立派におなりになったじゃないの。私の十八年間が犠牲でなかったこと、みんなが知ってるはずじゃないの」
幸司「みんなのためにね。それは事実だ。しかし十八年間の何日が義姉さんのためにあった?」
礼子「十八年間の全部がそうよ」
幸司「ウソだい。そんなはずがあるものか。義姉さんはこの家にとっては赤の他人だよ。久子姉さんだって、孝子姉さんだって、母さんだって、いつかは義姉さんがこの家から出て行くことを望んでるんだ。義姉さんにはもう用はないんだ」
礼子「そんなことありません」
幸司「俺はそういう義姉さんに同情して義姉さんを好きだって言ってるわけじゃないんだ。俺はずっと昔から義姉さんが好きだったんだ」
礼子「やめて」
幸司「歳は十一も違う。おまけに死んだ兄貴の嫁さんだった人に俺はそんな破廉恥なことを言う男じゃない。だから苦しんだよ。死んでもこのことは言うまいと思って女遊びもした、麻雀、パチンコ、愚連隊と一緒になってバカな遊びもしたよ。卑怯者でも、グウタラでも、なんでもいいんだ。ただ黙って義姉さんのそばにいたかったんだ」
礼子「やめて、やめてちょうだい。やめなければ私、この家を出て行きます」
幸司「俺が出て行くよ」


 観た感想を問えば、誂え向きの答えが返ってくる。
 「別に普通」
 そのとおりなのだ。そのとおりなのだが、その普通に見えるそのシーンが、いかに普通には撮られえないかを体験してもらう。

 まずこの抜粋されたシークエンスが何カットで構成されているか、カット毎に台本に線を入れてもらう。結果トータルで16カットになった。幸司のセリフが8、礼子のセリフが7、計15のセリフのやりとりを16カットで撮影しているわけだから、数字の上ではほぼセリフごとにカッティングされていることになる。なるほど、ここまでは普通である。

 ここで小津の「秋刀魚の味」の1シーンがどのように構成されているかみてみる。
autumn afternoon

 このシーンは、上の図のように都合3つのカメラポジションの組み合わせで構成されている。計33カットもあるが、セットアップは3つだけである。引きの画は、カット1,15,21,33の計4カットだが、このセットアップでこの一連の芝居を通して撮影し、編集上でその4カットを抜き出すことになる。同じく、佐田啓二向けのカットが、計13カット。これも一連で撮影する。吉田輝雄向けの16カットも同じだ。
 であるから、理屈上は3度同じ芝居を繰り返してもらうだけでこのシーンは撮影できてしまう。

 スタッフの今日は何時に帰れるだろうという問いは、残りカット数で算出されるべきではなく、残りのセットアップ数を鑑みなければ、大きくその読みを外すことになる。もちろんその1つ1つのセットアップにかかる時間も考慮に入れなければならない為、そうそう予想はあたらないものだが。その最たるものが長まわしで例えば1シーン1カットなら、もちろんセットアップも1つでしかないが、これにかかる手間たるや尋常ではないということが尋常。であるからして100カットあろうが、定時に帰れるときもあれば、1カットだけにも関わらず徹夜になることだってある。いずれにしろ、撮影現場で今日何時に帰れるかは常に人気のトピックなのだ。

 閑話休題、「乱れる」の抜粋シーンに戻れば、この計16カットがいくつのセットアップで構成されているか。
 16カット、16セットアップである。
 ということは、どういうことかと言えば、16のセットアップごとそれぞれに必要な芝居部分を撮影するわけで、その都度このシーン全てを演じてもらうわけにもいかないのだから(別にそうしてもらっても一向に構わないが)その演技ののりしろを含めて、16回ぶつ切りで一連の芝居を撮影することになるのだ。そうして撮影されたものが、まるで一息で撮影されたかのごとく流れるように芝居が繋がってみえることに、まず驚いてもらう。

 で、撮影講座であるから実際にカメラを使って(ここで申し訳程度にカメラの技術的な操作も教授する)1カットづつ撮影(コピー)していく。

(以下のC#は、抜粋部分に便宜上振られたもの) 
C#1
幸司「義姉さん、じゃあ言おうか。俺がなぜあんな女と遊んでるか、なぜ会社を辞めたのか
c#1

幸司がセリフとともに前進する。




 まず簡易的にカメラの液晶画面を黒パーマセルでシネマスコープサイズにクロップしてもらう。そして可能なかぎり忠実に人物を配し、バックの襖/人物同士の関係等からディスタンスとレンズのミリ数を決定する。
 なぜこのようなことをするかというと、ここで決定したレンズで、ほぼ全てのカットが撮影できるからである。実際もおそらく同じ一本の単焦点レンズで撮影されたと思われる。レンズを統一することで、カットが変わってもその距離感は崩れることがない。同一空間内で人物配置をその都度変える演出において、カット間でその距離感を統一しておくことは、その人物配置を空間ごと一気に把握する為に必須である。なので、生徒たちにはズームを固定させたまま、ディスタンスでサイズを決定してもらう。


C#2
礼子「あなたは世の中に甘えてるのよ。生活というものが、どんなに大変なものか、あなた知らないのよ。もし知ってたら転勤くらいで会社辞めてくるものですか
c#2

礼子、電気の点いていない部屋の方へと歩いていき(パン)、その手前で立ち止り振り返る。




 ここで成瀬のトレードマークである振り返りがある。人を振り返らせる為には、まず振り返る対象=幸司に対して斥力が働かなければならない。ここでは礼子が幸司に説教するのだが、常に目を合わせて説き伏せるのも息が詰まる。その緊張に対し斥力が働き目を外す、しかし言いたいことはしっかり言わなければ、と振り返るのだ。振り返りのポイントを◎、相手を見てのセリフは太字にしている。
 振り返らせる達人である成瀬は、目を逸らさせる達人でもある。



C#3
幸司「義姉さん、俺はここにいたかったんだ。義姉さんのそばにね
C#3aC#3b

礼子、幸司の告白に体を逸らし(音楽)、暗い部屋の方へと逃げていく(パン)。


 この一連で最も重要なカットであり、後期成瀬に特徴的な2から1へのパンがみられる。
 映画を通しても重要である/転轍点となるセリフが含まれている。そのセリフを契機として、ここまで抑えてきた幸司の想いが吐露される。説教されてきた幸司の反撃ののろしなのだ。 
 それをどのように成瀬は演出しているのか。
 まずここではイマジナリーラインが越えられている。(もちろんここまでにイマジナリーラインの講義はすでに終わらせてある)
 イマジナリーラインをキャメラが越えることで、キャメラに対して2人の位相が逆転する。C#3までは、常に下手側に礼子がいて、上手側に幸司がいる。この位置関係はカットが変わろうが常にキープされる、それがイマジナリーラインのセオリーを遵守するということ。礼子がキャメラの光軸をまたぐことで、キャメラはイマジナリーラインを越えることになり、その位相は逆転する。下手側に幸司、上手側に礼子。C#3以降はこの位相がキープされることになる。位相の逆転が、そのまま礼子から幸司への説教から、幸司から礼子への愛の告白というベクトルの逆転と重なる、見事としか言いようがない。
 つぎに2から1へのパン。これはナメの2ショットから単独への切り返しとは趣を異にする。つまり2から1へのパンは、その単独のショットへの移行をこそ描いているからである。関係から逃げるその逃げを描いている。心理的な引きこもりを描いている。
 最後に暗い部屋への逃避。成瀬はこの二間続きの和室を電気の点いた明るい部屋と点いていない薄暗い部屋にわけて、それをそのまま心理的な隠喩にしている。この明暗のせめぎあいのドラマが、ただの会話劇をスペクタキュラーなものに昇華させる。


C#4
幸司「卑怯者だと言われたくないから俺は言うよ。俺は義姉さんが好きだったんだ
C#4

まわりこむ幸司(パン)




 注目したいのは、まわりこむだけで暗い部屋にはまだ足を踏み入れないということ。明るい部屋からの呼びかけ。あくまで幸司からの告白であって、礼子の領域に踏み込むようなことはまだしない。


C#5
礼子「何を言うの、孝司さん。ばかなことを言うものじゃないわ。あなたはこないだの晩、私がこの家で十八年間も犠牲になったって言ったわね
C#5

振り返る礼子






C#6
幸司「言ったよ
礼子「でも私は一度だってそんなこと考えたこともなかったわ。夫は戦争で死んだけれど、私は夫の遺志を受け継いで今日まで生きてきたのよ
C#6

礼子、幸司の方へやってくる




 ここで礼子は、幸司をもう一度説き伏せようと抗戦する。自ら幸司のいる光のテリトリーへと出向くのだ。欄間が落とす影をくぐり抜ける礼子。


C#7
礼子「焼け跡のバラックがこんなお店になったのよ。その間にお義父様もお亡くなりになったけど、久子さんがお嫁にいき、孝子さんが結婚して、みんな立派におなりになったじゃないの。私の十八年間が犠牲でなかったこと、みんなが知ってるはずじゃないの
C#7あc7い

 再び暗い部屋へと歩いていく礼子(パン)、たちどまり振り返る


 前言を翻すようで申し訳ないが、このカットのみもしかするとやや長めのレンズで撮影されているかもしれない。
 この明暗のコントラストをみよ。


C#8
幸司「みんなのためにね。それは事実だ。しかし十八年間の何日が義姉さんのためにあった?
礼子「十八年間の全部がそうよ」
c8

幸司が礼子を追いかけ暗い部屋へと入る。




 徹底抗戦の幸司、礼子の言葉に反論する。とうとう彼女のテリトリーへと足を踏み入れる。我々観客もまた幸司とともに抜き差しならない状況へと誘われるのだ。


C#9
幸司「ウソだい。そんなはずがあるものか。◎義姉さんはこの家にとっては赤の他人だよ
c9

幸司、やや横に位置をずらし振り返り言う





やや浅いが、幸司も礼子の答えに呆れるという斥力を働かせ、礼子を説き伏せるために振り返る。くどいようだが、振り返らす為には見つめ合っていては不可能。どこで、どのようにして関係から逃れるか、その演出が的確なのだ。


C#10
礼子「・・・」
幸司「久子姉さんだって、孝子姉さんだって、母さんだって、いつかは義姉さんがこの家から出て行くことを望んでるんだ。◎義姉さんにはもう用はないんだ
c10あc10い

 振り返る礼子。台所の方へと歩いていく幸司(パン)、立ち止り振り返る。


 「赤の他人だよ」という前のカットのセリフをうけて振り返る礼子。果たしてこの時の加山雄三がその意図を理解して歩き出しているかどうかはわからないが、その動きはまぎれもなくその礼子の振り返りに対するたじろぎである。
 そのたじろぎが2から1へのパンで描かれている。


C#11
礼子「そんなことありません
c11



C#12
幸司「◎俺はそういう義姉さんに同情して義姉さんを好きだって言ってるわけじゃないんだ。俺はずっと昔から義姉さんが好きだったんだ
c12

振り返る幸司、礼子に歩み寄る。






C#13
礼子「やめて」
c13あc13い

 逃げる礼子(パン)。
 このシルエットの美しさをみよ。


C#14
幸司「歳は十一も違う。おまけに死んだ兄貴の嫁さんだった人に◎俺はそんな破廉恥なことを言う男じゃない。だから苦しんだよ。死んでもこのことは言うまいと思って女遊びもした、麻雀、パチンコ、愚連隊と一緒になってバカな遊びもしたよ。卑怯者でも、グウタラでも、なんでもいいんだ。◎ただ黙って義姉さんのそばにいたかったんだ
c14あc14いc14う

 礼子の側へまわりこむ幸司(パン往路)、そこでも顔を背けられ戻っていく(パン復路)

 手前に礼子を入れ込んでの往復パン。機械的に往復する(そのように見えてしまう)加山雄三の芝居を補ってあまりある高峰秀子の暗部でありながら、見事なリアクションに刮目してほしい。


C#15
礼子「やめて、やめてちょうだい。やめなければ私、この家を出て行きます」
c15あc15い

 振り返り、台所の方へ逃げていく礼子(パン)。

 この息苦しさから逃れようと、開口部/出口をもとめ台所の明かりをたよりに歩いていく礼子。


C#16
幸司「俺が出て行くよ
C16

 この前のカットでイマジナリーラインが密かに越えられていて、このカットは幸司の目線が下手を向いている。そう、この一連でC#3以降画面の下手側には常に幸司がいて、上手には礼子がいた(C#14の中で一瞬位相が逆転するがすぐ戻る)。
 我々はC#3で幸司の秘めた想いが解錠されたのをみた。そしてそれはC#15で礼子の手によって再び施錠されるのだ。
 C#16で、もとの位相に追いやられた幸司はそれゆえ立ち去る他ないのだ。




まとめ

 最後に撮影/コピーされた素材を編集するのだが、このようにコンティニュイティーが明確なものは、カットの前後をトリミングするだけでよく編集は早い。そして、皆で観賞。
 一番大変なのは役者である。彼らの感想は、やはり非常にやりにくいものだということであった。それはそうであろう。16カット16セットアップなのであるから、セリフごとに撮影するようなものだ。それでも結構観れてしまう。彼らの頑張りももちろんであるが、成瀬のコンティニュイティの力を実感する。
 生徒たちには、あくまでこれは一例にすぎないという言わずもがなのことを、あえて言っておく。1シーンを1カットで撮影するのも、33カットを3セットアップで撮影するのも、16カットを16セットアップで撮影するのも、全て映画である。
 ただ映画にとって、自然にみえるものがいかに自然とはかけ離れた作業によって撮られているものであるかは実感してもらいたい。

 この3分ばかりの抜粋シーンで人は10回も振り返る。なぜ振り返るのか?そこに堪え難い非対称の溝があるからだ。
 非対称を解消させる振り返りは、それゆえ非対称を糧にする。振り返りが印象的な成瀬作品は、いかに非対称を描くかに要諦があったのだ。振り返れども振り返れども対称性は遠のいていく。メロドラマとはそういうことである。


 追記 講義録のかわりにと安易な考えではじめたが、実に大変。やっと完成。好きなこと喋ってるだけの講義の方が気楽でよい。疲れた。
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テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

  1. 2008/09/10(水) 23:06:41|
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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