撮影監督の映画批評

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「復讐鬼」(ジョセフ・L・マンキーウィッツ)

 弟は黒人医師ルーサー(シドニー・ポワチエ)に殺されたのだと復讐鬼と化すレイ(リチャード・ウィドマーク)。
 レイの弟の臨終は、観客から奪われている。病室の外にあるキャメラは、廊下に響くレイの叫び声で室内の異常に気づくからだ。

 自分の処置は正しかったとするルーサーは、死因を特定する解剖を要求する。
 ルーサーの殺人なのだとするレイは、解剖を許可しない。
 ルーサーの上司、ウォートン(スティーヴン・マクナリー )は、解剖が裏目にでるかもしれないと思っている。

 臨終の瞬間が奪われていようが、ルーサーが自身の無罪を信じる以上に、それを確信して疑わないのが我々観客である。にもかかわらず映画は解剖を先送りにする、なぜか?

 わかりきった答えを先送りにすることで、観客は「わかっているのだが、もしかして」と思うようになるからだ。ルーサーもまた観客と同じである。であるからこそ、早く知りたいと思うのもまた同じである。

 理由を必要としない復讐であればこそ、力を持つ。黒人街襲撃を指揮するのは、不在でありながらそれゆえ中心となりえる、動くことのできないレイである。

 それが証拠に、自分が殺したのだとルーサーが自首することで(もちろんすぐにひっくりかえされるが)復讐に正当な理由が与えられ、さらにベットから離れ、自ら動きだすことで、急速にその力を失っていったではないか。

 人種差別もまた、正当な理由を必要としていないがゆえに厄介なのだ。

 
 
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  1. 2008/08/19(火) 01:04:06|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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