撮影監督の映画批評

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「修羅雪姫」(1973年 梶芽衣子主演版)

 ボルへスの『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』に「鏡と性交は、人間の数をふやすがゆえに忌まわしいものだ」と(いう「鏡と百科事典との結びつき」となる「寸言」が)ある。
 
 鏡に自らを映すようにして、復讐を託す子供、雪(梶芽衣子)を出産し死んでしまう母親。
 雪に託された復讐は、鏡のように映された復讐の像に過ぎず、その根を雪自身は持たない。
 あえて言うなら、復讐の為にこの世に生を受けたことへの復讐。

 その鏡のイメージは、本編中何度か変奏されることになる。
 まず竹村伴蔵(仲谷昇)を浜辺で殺す、波間に漂うその死体をわざわざ引き上げ、断崖絶壁まで運んでから、再度海へと投げ入れる雪。
 これは命を狙われた伴蔵を窮地からわざわざ助け、そして殺すという雪自身の行動とも呼応しているが、何よりも伴蔵の娘、小笛(中田喜子)が、売れない人形を同じ崖から海へと投げ入れるのと鏡合わせになっている。さらに小笛は、父親の借金の為に体を売っているわけだから、母親の復讐の為だけに存在する雪の鏡像に他ならない。親にコントロールされる親の鏡像としての中身のないふたり。小笛が人形を投げ入れるのは、それゆえ鏡像としての父親(あるいは人形のように空っぽの自分)を投げ入れるに等しい身振りだとは言えまいか。つまり自分を映す鏡を割ろうとすること。自分が自分の主だと告げること。
 だから鏡像を失った小笛が、もう1つの鏡像である雪を殺そう(割ろう)とするのは、当然の帰結なのだ。

 雪と足尾竜嶺(黒沢年男)は塚本儀四郎(岡田英次)を仕留めるが、それは儀四郎の鏡像、替え玉であった。当の本人は、マジックミラーを通してその一部始終を見ていた。それに気づいた雪と竜嶺は、ふたりを映す鏡(自らの鏡像)を割る。現れる竜嶺の鏡像である父親、儀四郎。自身の鏡像の向こうにいた父親という鏡像を追いつめ、雪の手によって父親と向かい合わせに串刺しにされる竜嶺。鏡を抱いて死ぬ。

 墓前に雪の姿を捉えるシーンが2度ある。
 1度目は、母親の墓前に額ずく雪。2度目は、死を偽装した塚本儀四郎の墓に斬り掛かる雪。
 この二つもまた交換可能な鏡像関係にある。
 つまり2度目の墓参は、儀四郎のではなく、子に復讐を託した母親の墓に対する憤りにもとることができるのだ。
 なぜ復讐しなければならないのか?という問いかけが雪の復讐行為そのものであり、その問いかけに答えは与えられない。
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テーマ:邦画 - ジャンル:映画

  1. 2008/08/18(月) 17:59:24|
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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