撮影監督の映画批評

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

「いつも明日がある」と「マディソン郡の橋」

いつも明日がある

 「いつも明日がある」のようなストーリーから連想される作品は多々あるだろうが、例えば「マディソン郡の橋」。

 後半フレッド・マクマレイがおもちゃのロボットに自身を重ねあわせたように、でもまだそうであるとは気づいていない冒頭、フレッド・マクマレイを家族が通り過ぎていく。そのロボットのことを劇中walkietalkie space man(おしゃべり宇宙飛行士?)と言ってる箇所があったと思われるが、まさにフレッド・マクマレイはspace(何もない空間)manとして登場する。

 「マディソン郡の橋」でも、メリル・ストリープが家族に顧みられることなく過ごす食事のシーンを回想の冒頭に据えている。

 どちらもそれを騒々しく描き、その騒々しさから疎外されるものとして主人公を登場させる。そして主人公を除く家族がすべて外出し、空っぽの家にただ一人になって、不倫相手が訪ねてくる。
 
 出会いの後メリル・ストリープは、そのややもすれば過剰ともうけとれる演技力で、自ら恋に落ちていく主婦を演じる。恋に落ちるのが、自らであるのは当然であるはずにもかかわらず、「いつも明日がある」のフレッド・マクマレイは自ら恋に落ちていくようにはみえない。自らでないのなら、一体どのようにして。

 息子の父親への疑いは、どれだけそれを否定するような材料がでてきても関係ない。なぜなら、不倫を否定するはずの事実でさえ、不倫を支持する事実に転化させるからだ。息子に言わせれば、家族に包み隠さず話すことこそ、不倫をしているまぎれもない証拠である。
 そう、あたかも息子の不倫なのではないかという疑いが、その原因である不倫を生み出したかのように描かれる。
 息子の疑いは不倫の一部であって、しかも誰もそれに気づいていない。
 そのように演出されている。
 例えば、バーバラ・スタンウィックに入室を断られ去って行くフレッド・マクマレイを、サークは振り返らせるのだが、スタンウィックがカーテンを閉めたため光線が遮られその表情を窺うことができない。もし、ここでの表情を捉えたとしてフレッド・マクマレイはどのような表情をすればいいのか?自ら恋に落ちていく男の表情として捉えられざるをえない。だから避けられている。
 バーバラ・スタンウィックの部屋で写真を見つけた時の表情も、その当時に想いを馳せている顔ともとれなくはない抑えた芝居で躱している。
 
 
 つまりフレッド・マクマレイは、おもちゃのロボットなのだ。それは彼自身が卑下して劇中言っているが、そこでの謂いは擬餌にすぎない。
 フレッド・マクマレイは、こどもに操縦される自らは意志を持たないただのおもちゃとして描かれているのだ。
 
 


スポンサーサイト
  1. 2008/08/02(土) 01:11:13|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「心のともしび」 | ホーム | 歩いても 歩いても>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://pointbreak.blog66.fc2.com/tb.php/172-98c8e398
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

Follow Me on Pinterest

メールフォーム

お問合せはこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。