撮影監督の映画批評

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「ブレス」と「接吻」

ブレス

 面会室の透明な仕切りで対峙する二人を、キムギドクはどのようにとらえるのだろうか?
 例えば、「悪い男」であれば、マジックミラー越しに娼婦を見つめている男の話だったように、キムギドクは一方通行で非対称な視線を好んで描いてきたように記憶している。
 面会室での視線の対峙は、透明な仕切り越しゆえに逃げ場がない、文字通り透明なカットバックが常套手段になる。
 さらに鏡像を好んで利用するキムギドクであるから、透明な仕切りに登場人物を映すという些か手垢のついた表現に、どのような距離をとるのか?
 
 保安課長が操作する監視カメラによって捉えられた二人の姿をモニターに映し出す。そのカットが適宜インサートされ、紋切型を回避している。さらに、透明な仕切りに二人のうちのどちらかを映すということをするのではなく、二人を映したモニターに、その二人を見つめる保安課長の姿を映し込んでいる。(ただ、二人の行為と同時にタバコに火をつけるのは、紋切型にすぎる)
 しかし、ここに導入された非対称な視線は、保安課長と二人の間にはしるものであって、二人の間のものではない。非対称であることがはらむそのポテンシャルは、どのようにしてこの映画を駆動していくのか?
 このポテンシャルは、保安課長によってキープされつづけてしまう。保安課長は、二人に関わってこない、行き過ぎる行為にブザーを鳴らして止める(=カットする)だけだ。つまり保安課長は監督=観客でしかない。実際、保安課長をキムギドク本人が演じているというのだから徹底している。しかしそれではこのポテンシャルを活かすことができない。そこで夫(ハ・ジョンウ)が、そんな観客のいらだちを知ってか知らずか、そのモニタールームに入ってきて二人をモニター越しに見るのだ。

 メタレベルの導入は一向に構わないのだが、それがやはり降りていかなければならないと思う。その点で、それが遅かったように思われるし、映画もそれでさして動揺しなかった。

接吻

 其の伝で行くと、「接吻」(万田邦敏監督)は面白い。面会室で、京子(小池栄子)に眠らせるのだ。
 他でも、裁判長が坂口(豊川悦司)に言いたいことがないかと問うのに、「ありません」と答えたり、坂口の手紙には、こうして返事を書いているからといって誤解しないようにと書かれていたりする。

 つまり「接吻」では、限られた面接時間に話すことなく眠らせたり、 あなたの声が聞きたいという京子の願いに言いたいことがないと言うことで答えたり、誰とも交流したくないという旨の手紙を返信したりする、コミュニケーションを拒否するメッセージの往還が、コミュニケーションになっている。
 透明なカットバックで、会話や視線をやりとりするのではなくて、そのやりとりするものがないと表明することで、逆説的に二人をコミュニケートさせている。
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テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/05/10(土) 20:18:06|
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著書

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中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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