
実際にあった未解決連続殺人事件の映画化ということで、どうしても「殺人の追憶」と比較してしまうのだが、「殺人の追憶」にあったドラマ性は「ゾディアック」には稀薄だ。
どちらも限りなく黒に近いと思われる容疑者を追いつめ、しかし決定的になるはずの鑑定(「殺人の追憶」ではDNA、「ゾディアック」では筆跡)は、白だと告げるシーンがある。この最もドラマティックになるであろうシーンの描き方が好対照なのだ。
「殺人の追憶」では、まさにそれがクライマックスに配され、劇的状況(雨のトンネル)でこれでもかという濃密な演出でみせられる。我々観客も、そいつが犯人であってくれと祈るように画面を見つめた。
一方「ゾディアック」では、鑑定結果が単なる客観的事実としてしか観客には示されない(もちろん登場人物はそんなバカなと憤っているのだが)。
ロバート・グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)が、冒頭口を挟みたいのだけれど、できないというためらいなんかは、いい感じだと思ったし、記者二人と刑事二人というのが、それぞれ一人ずつ脱落して、最終的にグレイスミス一人になる構造は、もっと面白くできるはずなのだ。
ハリス・サビデスによる撮影が、Viper FilmStream Cameraによるフルデジタルなのには、驚いた。Viper FilmStream Cameraは「コラテラル」でも使用されているが、その際のルックは成る程言われればわかるなというものだった。(「スーパーマン リターンズ」でもパナビジョン社のHD、ジェネシスで撮影されているが、まぁこれは作品の性格上デジタル然としたルックだった)
しかし今回は、言われてもわからない。フィルム撮影となにも変わらない。もちろんフィルムで撮影しても、ハリウッドの作品はほとんどがDIを通すのだから、デジタルと無縁のフィルム作品などまずないのだが、それでも撮影時にはフィルムを使用しなければ出せない質感があると信じていた。もちろんあるに違いない。だが、少なくとも私には、わからないレベルにまで来てしまったということだ。
--Viper--
"American Cinematographer"のApril2007号にカメラマンのHarris Savidesのレポートが載っていました。最終的な編集システムの話まで載っていて面白いです。もしご興味あれば・・・・
"American Cinematographer"のApril2007号にカメラマンのHarris Savidesのレポートが載っていました。最終的な編集システムの話まで載っていて面白いです。もしご興味あれば・・・・
by: IMAO * 2007/06/23 07:59 * URL [ 編集] | page top↑
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> IMAOさん
コメントありがとうございます。
アメシネは、以前定期購(読でなく)買していましたが、結局写真を眺めるか、読んでも見出し程度だったので止めました。
ストレスなく英語が読めるといいんですけどね、私は駄目です。
> IMAOさん
コメントありがとうございます。
アメシネは、以前定期購(読でなく)買していましたが、結局写真を眺めるか、読んでも見出し程度だったので止めました。
ストレスなく英語が読めるといいんですけどね、私は駄目です。
--Viper--
結構ストレスありで読んでます(笑)。ま、半分は英語の勉強にと思って読んでいるのですけど・・・
でもコレを読んでいて思うのは、アメリカ映画の良い意味での貪欲さです。新しいモノは何でも試してやろう!みたいな感じをヒシヒシと感じます。Harris Savidesも相当テストをしたらしく「あらゆる失敗をした」とインタビューで答えていたのが印象的でした。
結構ストレスありで読んでます(笑)。ま、半分は英語の勉強にと思って読んでいるのですけど・・・
でもコレを読んでいて思うのは、アメリカ映画の良い意味での貪欲さです。新しいモノは何でも試してやろう!みたいな感じをヒシヒシと感じます。Harris Savidesも相当テストをしたらしく「あらゆる失敗をした」とインタビューで答えていたのが印象的でした。
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ここでの評を拝見して見る気になり、見てまいりました。よかったです。『殺人の追憶』ともよく似ていますね。限りなく黒いにも関わらず、最後にはじかれるという表現で獲得した「抽象性」を理解できる人と出来ない人ではこの映画への評価はまるで違うと思います。そうしたカフカ的な迷宮性と「ちゃんと犯人をこの目で見てみたい」というグレイスミスの「欲望」はキーだと思います。ここでも「見るということの制度性」が問題になっているとおもいます。グレイスミスの「欲望」はデ・パルマを飛び越し、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』に一気に繋がっていくと思えます。それと最初と公園での殺人のシーンは秀逸でした。「死」が直前に迫っている事態への「鈍感さ」と「予感」への微妙な推移の表現とそれを超えた容赦なさはスピルバーク級だったと思います。そう言えば『グエムル』のおじいさんが川原で殺された場面も秀逸でしたね。えっ?お前も「ゾディアック」の素質があるって?冗談よして下さい・・。
ここでの評を拝見して見る気になり、見てまいりました。よかったです。『殺人の追憶』ともよく似ていますね。限りなく黒いにも関わらず、最後にはじかれるという表現で獲得した「抽象性」を理解できる人と出来ない人ではこの映画への評価はまるで違うと思います。そうしたカフカ的な迷宮性と「ちゃんと犯人をこの目で見てみたい」というグレイスミスの「欲望」はキーだと思います。ここでも「見るということの制度性」が問題になっているとおもいます。グレイスミスの「欲望」はデ・パルマを飛び越し、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』に一気に繋がっていくと思えます。それと最初と公園での殺人のシーンは秀逸でした。「死」が直前に迫っている事態への「鈍感さ」と「予感」への微妙な推移の表現とそれを超えた容赦なさはスピルバーク級だったと思います。そう言えば『グエムル』のおじいさんが川原で殺された場面も秀逸でしたね。えっ?お前も「ゾディアック」の素質があるって?冗談よして下さい・・。
--ナイト・シーン--
ゾディアックはナイト・シーンの照明が素晴らしく自然な=日常生活の肉眼で観た感じに近い印象でした。照明のうまさ、ということもあるとは思うのですが、Viper?を使用した意図はフィルムで暗部を表現するよりデジタルカメラの方が微調整しやすい、というようなことなのでしょうか?是非専門家の見地からのご意見伺いたいです。よろしくお願いします。
ゾディアックはナイト・シーンの照明が素晴らしく自然な=日常生活の肉眼で観た感じに近い印象でした。照明のうまさ、ということもあるとは思うのですが、Viper?を使用した意図はフィルムで暗部を表現するよりデジタルカメラの方が微調整しやすい、というようなことなのでしょうか?是非専門家の見地からのご意見伺いたいです。よろしくお願いします。
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>IMAO さん
日本では、もちろん作品規模次第ですが、カメラテストに時間やフィルムを潤沢に使うことができるのはまれです。
テストに時間をかけられるというのは、本当にうらやましいかぎりです。
> OGi さん
コメントありがとうございます。
>「死」が直前に迫っている事態への「鈍感さ」
というのは、実話が元になっていて、観客は殺されることを知っていることからもくるのではと思うのですが、「エレファント」も同じで、あの殺されるであろう高校生たちの「鈍感さ」は、圧倒的だったと思います。
> MATさん
コメントありがとうございます。
ナイトシーンの考え方として、ライティングは不可欠だと思います。ライティングしないこと、肉眼のまま映ることが自然だと言われますが、大抵はただ力のない画にすぎないと思います。映らないからライティングするのではなくて、ライティングする不自然の方が、ライティングしない自然よりも、映画上では自然に推移するのだと思います。
ただ、感度があることが有利な点は多いにあります。それはライティングしなくても映るからでは、決してなくて、例えばろうそくのような光量の弱いものをキーライトにする時などです。これはあくまでろうそくでライティングしていると考えるべきであって、例えばフィルライトが必要であれば、ろうそくよりも弱いライトでおさえるわけです。
結果ライトを使用しない場合でも、結果である以上ノーライトというライティングです。
極論ですが、フレーミングでもライティングできます。例えば光があたってなくて背景に溶け込んでいる被写体に、ライティングしなくても、ハイバック(例えば窓バックなど)になるようにフレーミングすれば被写体の際立ちにライトはいりません。
御質問はそういうことではなかったかもしれません。
技術的なことであれば、ラチチュードの問題と感度が関係する話だと思います。感度に関しては、ジェネシスやバイパーなどはもうフィルムの上をいっているようです。ラチチュードに関しては、詳しくわからないのですが、これもフィルムを越えたかのようなことも聞きます。しかしフィルムのラチチュードを越えてまでのものが本当に必要なのかどうかは疑問があります。
>IMAO さん
日本では、もちろん作品規模次第ですが、カメラテストに時間やフィルムを潤沢に使うことができるのはまれです。
テストに時間をかけられるというのは、本当にうらやましいかぎりです。
> OGi さん
コメントありがとうございます。
>「死」が直前に迫っている事態への「鈍感さ」
というのは、実話が元になっていて、観客は殺されることを知っていることからもくるのではと思うのですが、「エレファント」も同じで、あの殺されるであろう高校生たちの「鈍感さ」は、圧倒的だったと思います。
> MATさん
コメントありがとうございます。
ナイトシーンの考え方として、ライティングは不可欠だと思います。ライティングしないこと、肉眼のまま映ることが自然だと言われますが、大抵はただ力のない画にすぎないと思います。映らないからライティングするのではなくて、ライティングする不自然の方が、ライティングしない自然よりも、映画上では自然に推移するのだと思います。
ただ、感度があることが有利な点は多いにあります。それはライティングしなくても映るからでは、決してなくて、例えばろうそくのような光量の弱いものをキーライトにする時などです。これはあくまでろうそくでライティングしていると考えるべきであって、例えばフィルライトが必要であれば、ろうそくよりも弱いライトでおさえるわけです。
結果ライトを使用しない場合でも、結果である以上ノーライトというライティングです。
極論ですが、フレーミングでもライティングできます。例えば光があたってなくて背景に溶け込んでいる被写体に、ライティングしなくても、ハイバック(例えば窓バックなど)になるようにフレーミングすれば被写体の際立ちにライトはいりません。
御質問はそういうことではなかったかもしれません。
技術的なことであれば、ラチチュードの問題と感度が関係する話だと思います。感度に関しては、ジェネシスやバイパーなどはもうフィルムの上をいっているようです。ラチチュードに関しては、詳しくわからないのですが、これもフィルムを越えたかのようなことも聞きます。しかしフィルムのラチチュードを越えてまでのものが本当に必要なのかどうかは疑問があります。
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ありがとうございました。ライティングの話、興味深く読ませていただきました。ある撮影監督の方が「最近の映画館は消防法の問題なのか、昔より明るいから、暗部表現には不向きだ」というような事を言っていたことがあります。撮影条件だけでなく観賞条件も含めてHDが優位になっていくのではと思いました。感度やラチチュードについては勉強してからまた是非、質問させてください。
ありがとうございました。ライティングの話、興味深く読ませていただきました。ある撮影監督の方が「最近の映画館は消防法の問題なのか、昔より明るいから、暗部表現には不向きだ」というような事を言っていたことがあります。撮影条件だけでなく観賞条件も含めてHDが優位になっていくのではと思いました。感度やラチチュードについては勉強してからまた是非、質問させてください。
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>MATさん
>「最近の映画館は消防法の問題なのか、昔より明るいから、暗部表現には不向きだ」
確かにそうかもしれません。しかし、ローキーの画であっても、見せなければならないものを暗部の階調だけに頼って見せるというのは、巧くないと思います。タッチをつけるといいますが、ローキーの画こそ、ほんの少しのハイとのバランスです。ただ暗いだけの画は、決してローキーとは言えません。ただの絞り間違いでしょう。
>MATさん
>「最近の映画館は消防法の問題なのか、昔より明るいから、暗部表現には不向きだ」
確かにそうかもしれません。しかし、ローキーの画であっても、見せなければならないものを暗部の階調だけに頼って見せるというのは、巧くないと思います。タッチをつけるといいますが、ローキーの画こそ、ほんの少しのハイとのバランスです。ただ暗いだけの画は、決してローキーとは言えません。ただの絞り間違いでしょう。
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