撮影監督の映画批評

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『スティーブ・ジョブズ』(ダニー・ボイル)

(ネタバレあり)


この圧倒的な会話劇をどのように見せるか?

各発表会前の舞台裏の三部構成が、それぞれ発表会自体は見せないことで、発表会をゴールとする単線的な舞台裏の描写ではなく、常に発表会との緊張関係に置かれる。そのため観客は、それぞれに有名で、人によっては見たこともあるだろう実際の発表会の記憶なり知識(人によっては推測)を、ときに参照しながら見ることになる。つまり観客は、基本一対一の口論を見せられるだけではなく、発表会との二項表現として見るのである。

さらに、その場にはいないが、それを聞いているであろう/かもしれない人物を配する。舞台裏でスティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)にあいにくる人物はあとを絶たない。次の間で待っていたり、待たされたりする人物に、中の会話は聞こえているかもしれない。そのとき、観客は一対一の口論を見せられているのではなく、その口論が聞かれているかもしれないという二項表現として見るのである。

他にもジョン・スカリー(ジェフ・ダニエルズ)との会話シーンに顕著なフラッシュバックがそうである。観客は一対一の会話をフラッシュバックとの二項表現として見る。

ややもすると単調になりがちな会話シーンを、常にそこにはないものとの二項表現として見せ、観客を離さない。秀逸なのはこの三幕構成において、最後の第三幕に二項表現のバリエーションを見せることである。
第一幕でジョブズは、クリスアン(キャサリン・ウォーターストン)との面会に、ジョアンナ・ホフマン(ケイト・ウィンスレット)も立ち会えと説得するが、彼女は娘のリサと共に退席してしまい、結局クリスアンとの一対一の口論となる。再びジョアンナがノックするときには、すでに次の間にリサやアンディ・ハーツフェルド(マイケル・スタールバーグ)を含め、スタッフが居心地悪そうに待っている。遡及して二人の口論が、彼らに聞かれていたかもしれないという二項表現になる。
しかし第三幕でのジョブズは、会場でのスティーブ・ウォズニアック(セス・ローゲン)との口論に、スタッフがそこにいるジャーナリストを退席させようとするのを許さず、また、廊下でのリサとの口論では、そこにいるスタッフを追い払おうとするジョアンナを制し、それぞれ一対一の口論を、衆目の中で展開する。そのとき観客はそこにいる彼らと共に、まさにそこにいて一対一の口論を見るのである。




マノーニは、漁色家として知られたカサノヴァについてのあるエピソードを分析の対象としている。カザノヴァは、例によって、田舎娘をわがものにしようとした。彼は純朴な娘を騙そうと、権威ある魔術師の振りをしてみせたのだ。彼は魔術師の格好をして、地面に、「魔法の円」と称するものを描き、訳のわからない呪文を唱え始めた。と、そのとき突然、嵐になって、稲妻が轟音とともに光ったのである。これに驚いたのは、娘ではなくカザノヴァのほうであった。彼は、このタイミングで嵐になったのは、ただの偶然の一致であることをよく知っていた。が、彼は、あわてて、ほとんど反射的に、自分が描いた、嘘の「魔法の円」の中に飛び込んだのである。

大澤真幸 『不可能性の時代』



カサノヴァにとっての魔法の円が、ジョブズにとって獲るはずであったTIME誌のマン・オブ・ザ・イヤーであり、LISAがLocal Integrated Software Architectureの頭文字から名付けられたという由来であり、マカーだけでなく「いつのまにか」発した本人までをも呑み込んでいたという現実歪曲空間である。この「いつのまにか」の描き方/結構が、膨大なセリフ量の会話劇をドラマとして成立させている。




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  1. 2016/02/21(日) 16:49:16|
  2. 映画感想
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『キャロル』(トッド・へインズ)

(ネタバレあり)

昨年、クエンティン・タランティーノ、J・J・エイブラムス、クリストファー・ノーランらが、EKのフィルム工場閉鎖を阻止したニュースがあった。力のある人にしかできないことを、ちゃんと力のある人がするハリウッドが羨ましい。(翻って自国では、FUJIのフィルム製造中止にフィルム製造中止に何もできなかった/しなかった)
一方でそんな彼らがフィルムによって撮影した映画に、フィルムである意味を見出すのが、なかなかに困難だというのもまた事実である。ヤヌス・カミンスキーは、「粒子がなければ、映像はデジタル的なものになる」というが、その粒子感ですらデジタルでシュミレートできてしまう今、35㎜やましてや70㎜では尚更その違いはわからない。
しかし16㎜フィルムで撮影された本作は、フィルムで撮影された意味を十二分に堪能できる稀有な一本である。フィルムで撮影されるたびに口にされるフィルムにしか出せない深み(そう言われれば、そう見えなくもないが...)というのが、今回ばかりは言い訳に聞こえない。

「それからソウル・ライターの作品も見ました。彼はストリートフォトグラファーですが、より画家に近い存在です。ライターの写真は抽象化することで不明瞭にされた層状の構図でできています。彼のイメージはファウンドオブジェクトや質感、反射(光)で満たされていて、対象物は部分的にしか見えません。このようなライターのアプローチを使うことで、私たちは表象的な世界観だけではなく心理的な世界観を見せようとしました。たとえば戸口に立つテレーズ(ルーニー・マーラ)を窓や反射を通して部分的にしか見せないように撮ったシーンがありますが、そうすることで彼女のアイデンティティがはっきり見えるようになっていると思います。これは彼女の恋心、内側の世界を見せるために用いた視覚的方法のひとつですね」

撮影監督が語るトッド・ヘインズの『キャロル』『エデンより彼方に』


撮影監督エドワード・ラックマンがそう語るように、キャラクターをストレートには見せない。反射や透過だけでなくフレーム内フレームがいたるところに施されている。それはテレーズ(ルーニー・マーラ)が、キャロル(ケイト・ブランシェット)を見られずに見るPOV、逆にキャロルがテレーズを見られずに見るPOVに顕著である。つまり一方的な視線には絶えず越えるべき障害(フレーム)があるとでも言うように。それがメロドラマ。

視線に越えなければならないフレームがいく重にも重ねられているのとは対照的に、キャロルの手はいとも容易くテレーズの肩にのせられる。
物語は冒頭とラストで現在の同じシーンを繰り返し、それにサンドイッチされて過去が回想されるのだが、その二度繰り返されるシーンでも、やはりキャロルの手はテレーズの肩に置かれる。一方彼女らの視線はと言うと、テーブルに向かい合って座っている二人の間に何もフレームはないにもかかわらず、彼女らの顔を見るには切返さなければならなく(ショット、リバースショット、それぞれにフレームが二人を隔てる)「見つめ合う二つの瞳を同時に画面にはとらええない」。しかも、冒頭ではテレーズの顔が奪われ、ラストではキャロルの顔が奪われている。つまり冒頭とラストをまたいで視点を変え、切り返しされている。無媒介に触れ合う手と肩とは異なり、視線は直接に交じり合わない。

では、ついにその障害(フレーム)が越えられた、二人が結ばれるシーンが、どのように描かれていたか?

キャロルの両手が鏡台前のテレーズの両肩にのせられ、二人の視線は鏡(フレーム)の中で遮られることなく見つめ合う。そこに切り返しは必要ない。手が肩に触れるように、視線が直に触れ合う。

ラスト、テレーズのPOVが時間を引き延ばすように、しかし徐々にキャロルに近づいて行き、キャロルがその視線に気づいて映画が終わる。そして二人の視線が無媒介に触れ合うのであろう余韻を残して。

  1. 2016/02/16(火) 15:12:36|
  2. 映画感想
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「いつのまにか」の描き方

本日、2016年2月3日の17時から2016年2月7日までの5日間、拙書「いつのまにか」の描き方が無料でダウンロードできます。この機会に是非読んでみてください。
Kindle端末がなくても、PC、Mac、スマホ、タブレット用の Kindle 無料アプリで読むことができます。
  1. 2016/02/03(水) 07:40:37|
  2. 未分類
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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