撮影監督の映画批評

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「ザ・ファイター」(デヴィッド・O・ラッセル)

 冒頭、ミッキー(マーク・ウォールバーグ)のPOVであるキャメラが、道路をならすトンボの動きをとらえる。振り上げられたキャメラに、ミッキー(最初の視点主)の背中がフレームインする。すると次にディッキー(クリスチャン・ベール)のくり出すパンチが、ディッキー視点でとらえられる。ほどなくディッキー(次の視点主)もまたフレームインして、ミッキーからディッキーへと視点をリレーしてきた(非人称の)キャメラのフレームに2人がおさまる。
 この1カットでディッキーがミッキーの視点をなぞるように、ディッキーは映画の中で真似る人として描かれる。トレーナーをつとめる警官の真似をしてふざけるのだし、美人局に警察の真似をしつかまるのだし、過去の試合での自分すら真似る。これらは、ディッキーの真似をして、育ってきたミッキーと呼応している。そして映画は、それぞれが真似をやめたときにクライマックスをむかえる。
 試合の描き方も巧い。最初のビッグマッチは、とにかく打たれまくる。その劣勢を大逆転勝利するのだが、それを知っているのは刑務所の中のディッキーと我々観客だけである(ディッキー視点)。わかっていても、というのは、ディッキーも観客も同じで、実際そうなるまでは固唾をのむのだ。で、ラストのタイトル戦をどう描くかなのだが、ディッキーとミッキーの2人のやり取りを見せず、2人から距離を置く。当然観客は、ミッキーの劣勢にディッキーの加勢を期待するのだが、いっさいそれを見せない。観客が見たいのはディッキーがどうするのかなのだ。そして満を持してキャメラがとらえる2ショット。このときまでには、2人を1つのフレームにおさめさえしてくれれば、もうそれだけでいいくらいになってしまっている。だからそののちの逆転劇はおまけのようなものなのだ。
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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2011/04/13(水) 14:41:59|
  2. 映画感想
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「お家をさがそう」(サム・メンデス)

(ネタバレあり)
 好感がもてるのは、バート(ジョン・クラシンスキー)とヴェローナ(マーヤ・ルドルフ)に子供ができるところから物語ははじまるというのに、ラストに至っても子供の誕生を描かない点だ。映画において出産シーンは、登場人物が死ぬシーンに劣らず飽かず描かれる。なぜならそれだけで十分ドラマチックであるのだし、アナロジカルな使用にも適しているからである。それだけに安易な使用が跡を絶たない。
 妊娠を描きながら、出産を描かず、ラストに描かれるのが、2人が実家のドアを開けるシーンである。キャメラは家の中で2人をとらえる。その後ろに両開きのドアがあって、その明かり取り窓から水面がみえる。バートがその立て付けのわるいドアを片側開けると、そこから(エドワード・ホッパーの「海辺の部屋」のように)水面がはっきりとみえた。しかしまだ半分だ。バートはもう片側のドアも開けようとする。するとあろうことかキャメラは外に出て、外からもう片側のこれまた立て付けのわるいドアを開けようとするバートをとらえる。なぜカットを割ったのか?そのまま割らず、2人の目の前に広がる水面を1カットでとらえるべきではないのか。しかし早計であったと恥じることになる。外からとらえられたカットは、バートが開けようとする片側のドアで、その奥にいるヴェローナを隠している。そしてバートが立て付けのわるいドアを開けてみえるのは、一面の水面ではなく、矩形のフレームに枠取られた夫婦なのだ。われわれがみるべきは、水面ではなく、家の中の夫婦なのだ。慎ましくもすばらしい。
  1. 2011/04/07(木) 22:56:22|
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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