撮影監督の映画批評

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「愛のむきだし」(園子温)

 DVDはすでに出たようなのだが、アンコール上映ということで通常料金で観れることもあり、長尺でもあるので劇場にて。

 (ネタバレあり)
 神父の父(渡部篤郎)に懺悔を強要されるユウ(西島隆弘)は、懺悔をする為に罪をつくる。懺悔すべき人のフリをする為に、盗撮魔になってしまう。

 女装したユウはヨーコ(満島ひかり)と出会うのだが、そこでサソリと名乗ってしまう。
 サソリのフリをして、ユウではなくサソリとしてヨーコに好かれてしまう。

 次にコイケ(安藤サクラ)がサソリのフリをする。信じてしまうヨーコ。

 コイケが、フリであるはずのユウの盗撮をばらすと、ユウはコイケがサソリのフリをしていることを暴き、さらに自身もサソリのフリをしていたことを白状する。フリにしかすぎないのであって、本当は違うのだと。それがヨーコに理解されることはない。
 
 ユウは新興宗教に帰依するフリをして、ヨーコ救出を企むが、それは容易くコイケに指摘されてしまう。
 そしてあたかも「ショック集団」(サミュエル・フラー)で精神病院に患者のフリをして記事をモノにしようとした主人公が精神病者になってしまうかのように、ユウもまた精神病者になってしまう。
 つまり、ヨーコを救う為こっちの世界に戻すべき人=信者のフリをしたユウが、本当に戻すべき人=患者になってしまうのである。しかし今度は、本当は違うのだと主張しない。ゆえにヨーコに理解される。

 フリだと信じているものが、すでにむきだされたものなのだ。
 
 
  [「愛のむきだし」(園子温)]の続きを読む
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テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/22(土) 18:19:24|
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「トカレフ」(阪本順治)

 ちょいと前に「トカレフ」の話題が出て、毎度のことながら観ているはずなのにすっかり忘れてしまっていて全く話についていけず、気になってDVDを借り再見。

 冒頭、幼稚園バスの運転手・西海道夫(大和武士)の幸せな家族と、孤独な新聞社の印刷局員・松村(佐藤浩市)の生活が交互に点描される。この家族と松村を何度かニアミスさせるのだが、決して松村は家族に視線を注がない。これはなかなかできそうでできない演出である。こののち松村はこの家族をターゲットにするわけであるから、その鬱屈した視線を投げかけるなどといった演出を普通であればしてしまうのである。しかしやらない。
 
 この抑制があって、ビデオの中の視線にたじろぐのであり、さらにニアミスの隙間にこの視線があったのであろうことが遡及してわかる。つまり我々観客は道夫と同じく見ていない松村しか見ていなかったのであり、見ている松村がかつていたであろうことに恐怖するのだ。どこかで見られていたという演出は、あの視線がそうだったのだというフラッシュバックに還元されるような演出よりも怖い。
 もし冒頭に家族を羨むような視線あるいはただの一瞥であってもいいが、それを求められるクロースアップを監督が佐藤浩市に要求していたら、佐藤浩市がいかに好演しようと全ては記号的な演技に堕してしまうだろう。名優とはいい監督にキャスティングされる俳優のことを言うのであって、名優だからいい監督にキャスティングされるのではない。
 
 
 

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/17(月) 23:17:27|
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「HACHI 約束の犬」(ラッセ・ハルストレム)

 パーカー(リチャード・ギア)とハチの姿が、何度かガラス越しの見た目で捉えられる。
その視線の主は、駅の窓越しに見る駅員であったり、本屋の窓越しに見る店員であったり、わざわざ本屋に出前に行ったその窓越しに見る屋台の男であったりするのだが、もっとも感動的なのは妻ケイト(ジョアン・アレン)と、娘アンディ(サラ・ローマー)が自宅の窓越しに見るそれなのだ。犬など飼いたくないケイトが心変わりをし、ハチを引き取りたいという電話の主に断りを入れるのは、ハチとパーカーの姿を窓越しに見たからだ。さらにこれを契機に以降成犬のパートになる。
 窓越しのカットは否応無く距離感を感じさせる。その距離感はもちろん見た目とその主との遠隔であるのだが、それはハチとパーカーの近接とのコントラストで強調される。だからそれら見た目の主も直接ハチと触れ合うが、それら窓越しで捉えられたパーカーとハチの近接を越えることが出来ない。そして訪れる悲劇。
 窓越しのPOVに閉じ込められた記憶が、パーカーの不在を強調する。
 
 彩度を減じられたハチのPOVは、さほど機能していなかったように思う。ひとつだけ、泣き崩れる姿が遠く見える窓を犬小屋から眺めるPOVだけで処理していたのは、慎ましく好ましい。しかし犬のPOVは、「いぬのえいが」の傑作「ねえ、マリモ」(真田敦)に到底かなわない。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/16(日) 21:18:55|
  2. 映画感想
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「G.I.ジョー」(スティーヴン・ソマーズ)

 たわいのない映画だったとでも言っておくのが無難な気がするが、パリでの追跡シーンの趣向がちょいと面白かった。
 バロネス(シエナ・ミラー)とストームシャドー(イ・ビョンホン)が乗っている車をG.I.ジョーらが追跡するのだが、高速で走り抜ける車をデューク(チャニング・テイタム)とリップコード(マーロン・ウェイアンズ)は駆け足で追いかける。もちろん加速装置のついたハイパースーツを着用しているからというエクスキューズがあるのだが、車を走って追いかけるというのが実に痛快だ。
 G.I.ジョーらはなんとかして追跡する車の行く手を阻もうとするのだが、決してそのタイヤを狙うことはない。そんなことをしては映画が終わってしまうからである。
 馬を狙えば駅馬車は止まるのになぜ撃たないのかとジョン・フォードに聞くようなものだ。
 とあるビルに入っていくバロネスとストームシャドー、追いかけるデュークとリップコード、すれちがう風船をもつ人にぶつかり風船が手放され空中に。
 屋上へと逃げるバロネス、追いつめるデューク。バロネスはガラス張りの床を撃ち崩し、デュークが近づけないようにする。そのガラスが割れて出てくるのが、先程の風船なのだ。この空間と時間の感覚は特筆に値する。

 

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  1. 2009/08/16(日) 00:55:46|
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「無謀な瞬間」(マックス・オフュルス)

 冒頭のナレーションがハーパー家を紹介するのだが、息子のセリフにあろうことか邪魔をされ途中でやめてしまう。
 つづく娘をたぶらかす男を訪ねるカウンターでも、なぜか突然鍵が滑って来て女に割り込まれる全く物語と関係のない演出が施されている。

 そう、様々に邪魔されるハーパー夫人(ジョーン・ベネット)を描く映画なのだ。
 では、なぜそのように描かれるのか?
 
 ハーパー夫人が誰にも邪魔されない特異な「無謀な瞬間」を際立てる為である。
 男の死体の発見と同時に音楽は止み、波音だけになる。ハーパー夫人の助けを求めるような顔に続けてPOVが何度か示されるが、どれも突き放すような無人の光景。
 この死体処理の一連を延々とその環境音のみで捉える。
 ここには誰かに見つかるかもしれないというサスペンスはない。
 むしろ誰かに見咎められることを求めるかのような演出がされている。
 であるのに、誰も邪魔しない。誰かに邪魔してほしいのに、誰も邪魔しない。

 それを逆転させるのである。邪魔されたくないのに、邪魔される。
 ドネリー(ジェームズ・メイスン)がハーパー家を初めて訪れるシーンは白眉、ドネリーによって閉め切られるのにもかかわらず、息子はやってくる、娘も出てくる、あげくに祖父まで邪魔をする。
 面白いのは、サスペンスを亢進させるための邪魔ではないこと。
 たとえば、犯人が捕まったとドネリーに告げられ、コーヒーでもと二人で話しながら歩いているときでも、通行人はわざわざ二人の間を通るのだし、見つけた席も寸前で先に座られてしまう。人をどう動かすか。これこそ演出である。
 
 
 
 
 

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  1. 2009/08/12(水) 22:55:00|
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「バッファロー大隊」(ジョン・フォード)

 先日観た「セントアンナの奇跡」のバッファロー・ソルジャーつながりで、なんとなく「バッファロー大隊」を観直してみた。その素敵なラストについて少し。

 軍法会議での弁護を終えたカントレル中尉(ジェフリー・ハンター)は、弁護資料の書類などを小脇に抱え、部下とともに揚々と回廊を歩いてくる。そこにやってくるメアリー(コンスタンス・タワーズ)を認めると立ち止り、無言のまま部下に書類を渡し、帽子を渡し、剣を渡し、手袋を脱いで投げ渡す。そして去って行く部下、二人だけになる回廊。交わされる愛の言葉、そしてキス。そこに行進の足音が聞こえて来て、引きの画になるとラトレッジ軍曹(ウッディ・ストロード)を先頭にバッファロー大隊がやって来て二人に敬礼をし去って行く。エンディングの曲がかかり、行軍してゆくバッファロー大隊のカットを重ねて映画が終わる。

 メアリーとの対峙を手間取らせるだけの演出が、どうしてこうも幸せな気持ちにさせるのだろうか。逆にそのようにすればいいだけなのだとわかってはいても、フォードがやるようにはいかないところに凄さがある。
 そしてそれを祝福する黒人兵達、高らかに歌われるエンディング。
 何度観てもにやつきを抑えることができない。
 
 

テーマ:昔の映画 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/10(月) 15:39:42|
  2. 映画感想
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「セントアンナの奇跡」(スパイク・リー)

 スパイク・リーの作品とは相性が良くないようであまり面白いと思わなかったのだが、「セントアンナの奇跡」で過去に遡るまでの現在だけは例外になりえたかもしれないと思わせるものがあった。

 現在はニューヨークとローマを、事件を告げる新聞で繋ぐ。
 冒頭、ニューヨーク、ドアの横幅くらいしかない狭い廊下を床スレスレにキャメラはトラックアップしてゆき、次にその部屋の主である主人公、ヘクター(ラズ・アロンソ)を捉える。
 ローマでも、同じように廊下スレスレにキャメラがトラックアップしてゆくのだが、次に捉えられるその部屋の主は、ナチの画だけを扱う画商であって物語には直接関係のない人物。その画商がニューヨークとローマを繋ぐ新聞を読み出すも恋人に迫られ、新聞は窓外に落とされる。その落ちた先にいた男(ルイジ・ロ・カーショ)がそれで事件を知り、手にしたコーヒーカップを思わず落としてしまう。
 さて、この画商のシーンは必要だったのか?
 物語は必要としないが、映画は必要とする。つまり映画的なシーンである。
 ただオープンカフェで新聞を読む男が事件を知るというだけだとしたら、どれだけ味気ないか。
 新聞が告げる事件が2つの都市を繋ぐだけではなく、ドアに向かって廊下スレスレをトラックアップするキャメラというフォルムが2つの都市を繋ぎ、さらにはナチの画を介することでアメリカ、ドイツ、イタリアの3国を経由し、新聞の落下とコーヒーカップの落下というフォルムが媒介する画商と男を繋ぐ、またそうして男のもとに新聞がもたらされること自体が奇跡であるし、映画のテーマが凝縮されている。そして新聞を手に走る男が蹴る水たまりのフォルムと兵士が踏む水たまりフォルムで現在から過去へと物語を紡ぐ。

 成瀬巳喜男の「三十三間堂 通し矢物語」で、主人公がスランプに悩み爺やを叱責し振り返ると、矢が的に当たる画にカットされ、それは町中の矢場でありシーンが変わったことがわかるという繋ぎがある。キャメラはその矢場の外に出て、そこに通りかかる主人公とそれをつけ狙う男等の喧嘩を捉える。つまり矢場の中のカットは、(続く矢場の前の道が舞台なのだから)このシーンの舞台では全くなく物語上は不要である。が、しかし映画的なのだ。
 あたかも主人公の振り返りの動作が矢を的に当てたようなエモーショナルな繋ぎ、そして矢場があるような繁華街であるという状況説明、真剣な主人公と遊びのコントラスト。
 言うまでもなくこれもいきなり道に繋がれたとしたら、どれだけ味気ないことか。
 
 (何度目になるか、また)イーストウッドの言葉を引いてみる。

2人の人物が出ている場面がたくさんある。それから町で何かが起こる場面がたくさん。一番手っ取り早いのは、ロングショットとクロースアップを撮ること。難しいパートはその中間にある結合組織です。カメラでどのように場面を結合させるか、それをどうやって結びつけるか


 映画とは、中間にある結合組織にこそ求められる。



 

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

  1. 2009/08/10(月) 01:18:14|
  2. 映画感想
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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