撮影監督の映画批評

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「恐怖のメロディ」(クリント・イーストウッド)

 フィルムで観ることの出来る幸せ。空撮で捉えられたファーストカットは、バルコニーに佇むデイブ(クリント・イーストウッド)にキャメラが近づいていくのだが、木々の質感が迫ってくるようで圧倒的である。(オプチカルのカットですらこうであるのだから)テレシネされた、つまりDVDの描写がいかに薄っぺらいかを再認。
 DVDで観たときには、やや退屈に感じたモントレー・ジャズ・フェスティバルのシーンが、スクリーンで観ると断然良かったり、印象が全く違う。

 デイブとバーテン(ドン・シーゲル)は、コルク栓を使って「Cry bastion」というゲームを始める。それをみていたイブリン(ジェシカ・ウォルター)は好奇心をそそられ、徐々に二人に近づいていき、デイブの誘いにOKを出す。ここでゲームオーバー、このゲームに内容はなく、口説きの口実にすぎないことがわかる。
 ヒッチコックならマクガフィンと呼ぶであろう「Cry bastion」という実体のないゲームは、コルク栓の布置を変えることではなく、そのゲームを見ている人、イブリンの布置を変えることにこそ、その要諦がある。現にここでのデイブはグリーン、イブリンはイエロー、バーテンはレッドと、それぞれが駒であるかのように色分けされている。
 つまりゲームを見ている人が、すでにそのゲームにとりこまれているゲーム。

 ゲームのフリをして、人待ちのイブリンを口説いたはずであったが、実は人待ちのフリをして、デイブに口説かせたのだということがわかる。そこで囁かれる「Play Misty for me」
 デイブの仕掛ける「Cry bastion」、すでにとりこまれているイブリン。
 イブリンの仕掛ける「Play Misty for me」、すでにとりこまれているデイブ。
 もちろん映画「Play Misty for me」は、監督イーストウッドによって仕掛けられている。そう、そこですでにとりこまれているそれを観る人とは、紛れもなく我々観客なのである。
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  1. 2009/07/30(木) 00:56:04|
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「マンハッタン無宿」(ドン・シーゲル)

 クーガン(クリント・イーストウッド)がNYの警部補(リー・J・コッブ)に会うまでが、最高に面白い。そこを丁寧に描いているわりには、本筋に入ってその後が随分とぞんざいに感じられる。
 タイトルバックのインディアンが高い位置からライフルで狙い、そこへイーストウッドが現れるあたり「ダーティーハリー」のタイトルバックに通じるところがある。
 距離の詰め方がいい。大ロングから、殴り倒すまで。パンツを履けと投げられる服に続いての不意の登場。先程までインディアンのPOVとしてとらえられていた風景を、クーガンのPOVとして見渡してシーンを閉じる。
 女の家への寄り道も、いちいちアクセントをつけて巧い。内外の隣接を外に繋がれたインディアンの歌声で示し、視覚上では窓越しにPOVとしてとらえる。
 インディアンには服を着ろと言いながら、クーガンは女の家で裸になるという顛倒の面白さ。これはラストでは囚人に煙草をやるという顛倒と相似。
 アリゾナではなく、テキサスと誰にも間違われるのは、「グラントリノ」でtoadと呼ばれるタオや、ウォルトではなくコワルスキーとしか呼ぶことが許されない神父の祖型かもしれない。

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  1. 2009/07/29(水) 05:05:09|
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「白い肌の異常な夜」(ドン・シーゲル)

 スクリーンで観る機会がなく、それ以前にテレビでやらビデオでやらで観てしまっているものを、あらためて劇場で観て驚かされることの一つに、観客の笑いがある。
 満席のフィルムセンターで上映された「白い肌の異常な夜」は、いたるところで笑いがおきた。予想外の笑いにおおいに戸惑う。成瀬巳喜男の「驟雨」を、私はどのような状況で観ようが必ずラストで涙するのだけれど、これも劇場では観客の笑いを誘うらしく、居心地の悪さを感じながら号泣するのが常なのだ。
 しかし、このような居心地の悪さを、マクバーニー伍長(クリント・イーストウッド)の居心地と都合良く共鳴させる。

 さて本編であるが、ヒッチコックの「汚名」が思い出された。イーストウッドは「汚名」のバーグマンである。毒入りの食事に気づく件など、同じパターン。ラストのアイロニーは、フランク・ダラボンの「ミスト」のラストにも通じるところがある。
 ブルース・サーティースのキャメラが素晴らしい。とくにランプをつけながらエドウィーナ(エリザベス・ハートマン)が動けないマクバーニーの周りを一周するシークエンスは、その象徴的な演出と相俟って、最高の出来である。最初のランプに火をつけるとき急に暗くするなどという大胆なライティングは、とても真似できない。

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  1. 2009/07/29(水) 03:55:17|
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「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(ウォン・カーウァイ)

 この作品が封切られていた時、気にはなっていたものの評判の悪さから、結局見逃してしまった。で、DVDにて今更。

 結論から言えば、劇場で観ればよかった。
 もちろん、評判が芳しくなかったのも一々頷けるのだが、それでも良かった。これは好みの問題。
 好みの問題で片付けてしまうとそれまでなので、ここは文句無くいいでしょと説得を試みてみる。

 ラスト、ジェレミー(ジュード・ロウ)の店に戻って来たエリザベス(ノラ・ジョーンズ)、カウンター越しに相対していると、残っていた客が一人出て行く。ドアノブのクロースアップが、ドアの開閉をとらえ、閉まろうとする寸前に女性の手がそのドアノブをつかむ。それを見つめるエリザベス、街を出る夜、店に来たが入らなかったことを告白する。躊躇いのあとドアノブをリリースする女性の手、その夜のエリザベスの手、戻っていく過去のドアノブ。閉まっている現在のドア、そしてその内側にいるジェレミーと、戻って来たエリザベス。
 エリザベスの一瞬の躊躇いと、観客の一瞬の戸惑いのシンクロ。
 ドア開けて入るだけを描いたお話。

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

  1. 2009/07/22(水) 00:01:35|
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「ディア・ドクター」(西川美和)

 このキャスティング以外ありえないと観たものに思わせる映画を撮れる事が、欠くべからざる監督の才能のひとつである。
 キャスティングは撮影前になされるものだが、その成否は撮影後にしかわからない。

 さて主人公の伊野に笑福亭鶴瓶を配した本作であるが、「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ)を髣髴させる。
 脱ぎ捨てられる白衣は、ケーンの死に際してその手から転げ落ちるスノーボール。
 ペンライトは、さしづめ「薔薇のつぼみ」であろう。
 刑事(記者)が調べる現在と回想が交差して、伊野(ケーン)とはどういう人間だったかが語られる。そしてどういう人間かは結局わからない。
 わかるのは、周りの人々がどのようにみていたかだけである。


 本物の医者を演じる偽医者の伊野を演じるのは、本業は俳優ではない笑福亭鶴瓶。
 刑事(松重豊)のセリフで、周りが本物に祭り上げていたという意味合いのものがあったと記憶しているが、笑福亭鶴瓶もまた周り=観客によって本物の俳優に祭り上げられる。
 その周り=観客を操作するのが監督である。
 俳優を操作するのではなく、観客を操作する。
 当の本人がどうみせるかを演出するのではなく、観客にどうみられるかを演出する。
 
 村長(笹野高史)がいみじくも喝破したように、警察もまた警察手帳を示そうとも映画のなかでは俳優=偽物にすぎない。しかし俳優であることには、医者のように免許はいらない。周り=観客から求められればそれでいいのだ。
 ディア・アクター。 [「ディア・ドクター」(西川美和)]の続きを読む

テーマ:映画レビュー - ジャンル:映画

  1. 2009/07/10(金) 21:12:10|
  2. 映画感想
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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