撮影監督の映画批評

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潜水服は蝶の夢を見る

潜水服は蝶の夢を見る

 前半のほとんどをジャン=ドー(マチュー・アマルリック)の主観=POVで通すのは、「潜行者」でハンフリー・ボガート扮するヴィンセントが、整形手術で顔を変えるまでのほとんどを一人称カメラで通したのを髣髴させる。ただ、「潜行者」のボガートと異なり、ジャン=ドーは動くことができない。
 この一人称表現の息苦しさは、スクリーンが大きければ大きいほど甚だしい。
 一人称カメラに絶えず言われる窮屈さ、息苦しさを、逆手にとり、観客にLocked in syndrome(閉じ込め症候群)を擬似体験させる。
 
 アメリカン・シネマトグラファー誌によると、撮影監督のヤヌス・カミンスキーは、ジャン=ドーのPOVにシフトレンズ(ARRI Shift&Tilt system)とレンズベビーを使用したらしい。
 レンズベビーは普通写真用のいわばトイレンズで、マウントをムービーカメラ用に改造させて使っている。(レンズベビーについては、過去のエントリーで詳しく紹介しています) 
 
 このように趣向の凝らされたPOVでもあり、その狙いもよくわかるのだが、それでも尚/それだからこそ、ここまでの苦痛をしいられなければならないものかとも思うのだ。
 当然、観客は客観的なカットを希求する。そしてそれがどのように差し出されるのか。
 曖昧なのだ。
 潜水服に閉じ込められたジャン=ドーが蝶へと変わるのを、徐徐に描いているのだから、それに伴う語りもまた徐徐に、曖昧に、なされるのだというのも、わからなくはないのだが。
 
 
 病室に電話を設置しにきた業者が、ジャン=ドーが喋ることができないことをアンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)から知らされ、無言電話をかけるんだろうと冗談を言う。悪い冗談だと憤慨するアンリエット、笑っている業者と一緒に心の中で大笑いするジャン=ドー、「君(アンリエット)には、ユーモアがわからない」
 観客席に縛られた観客が、ベットと車椅子の上で身動きの取れないジャン=ドーの視線と同一化させられながら、このシーンで観客はアンリエットの視点に立っている。観客は、悪い冗談だと言うアンリエットに同調するから、ジャン=ドーの内声を聞いて微笑ましくなるのだ。

 そう、われわれ観客は、観客席という潜水服に身を沈めて、映画という蝶の夢を見に来ているのだ。
 それなのに、潜水服の夢を見させてどうするのだと言いたい。(あるいは、それだからこそ、この映画は素晴らしいと言うべきなのか)
 如上のシーンが物語るのは、ジュリアン・シュナーベル監督の意図(おそらくジャン=ドーの主観からその客観)に反して、ジャン=ドー以外の登場人物の視点から見せてしまう映画の力なのである。
 映画作家は、観客の視点を誘導するのが仕事でありながら、コントロールしようとすると裏切られるのが映画なのだ。だから、映画という蝶に潜水服を着せるべきではない。


 
 
 
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テーマ:潜水服は蝶の夢を見る - ジャンル:映画

  1. 2008/02/11(月) 21:22:07|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

「フィールド・オブ・ドリームス」と「ペパーミント・キャンディー」

 封切り映画ばかりのレビューでは息苦しいので、たまには旧作の話も。
 「フィールド・オブ・ドリームス」を再見して、大泣きする。

 途中、レイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)は声に導かれ、1試合出場しただけで球界を去ったムーンライト・グラハム(バート・ランカスター)を探すことになるが、彼はすでにこの世の人ではなかった。だが、なぜか死んだはずのシューレス・ジョー(レイ・リオッタ)が彼のもとに現れたように、グラハムも現れる。レイは、グラハムをアイオワに連れ帰ろうとするが、医者として、愛する妻の夫として、この地を離れることはできないと固辞される。仕方なくアイオワへと戻るレイが、途中ヒッチハイクをする青年を拾うと、それは若き日のグラハムであった。

 この若いグラハムは、球場にやってきたシューレス・ジョーら、自らが幽霊だと自覚している幽霊とは、あきらかに異なる。年老いたグラハムにしても、やり残したことがあることには変わりない。
 青年グラハムは、他と違ってまだ挫折を経験していない幽霊なのだ。
 そしてラストに現れるレイの父親。彼もまた希望に満ちあふれた、いまだ蹉跌を知らない若者である。
 この二人の、この世に未練を残す前に現れる幽霊の顔に、観客は想いをのせずにはいられない。
 もしかすると、これから自分がどうなるのか知っているのかもしれない。
 そう考えずに見ることは難しい。しかし、彼らがそれを知っているかどうかは、我々にはわからないのだ。

 それと同じ感覚は「ペパーミント・キャンディー」のラストでもある。観客は、主人公キム・ヨンホ(ソル・ギョング)の歩む道のりを、時系列を逆転して見せられる。
 回想主のいない回想。あるいは「ふくろうの河」で死ぬ間際に見られた夢のごとく回想されたもの。
 ラストシーンでのヨンホもまた、「フィールド・オブ・ドリームス」の青年グラハムのように、これから待ち受ける出来事など何も知らない。しかし、ここでもまた我々観客は、それに気づいているヨンホという想像を止めることができない。
 監督のイ・チャンドンは、現在から過去に遡るストーリーに沿って撮影している。本来であれば、時系列に従い過去のラストシーンから撮影し、現在のファーストシーンを最後に、それから編集上でひっくり返せばよいはずである。なぜ、そのようにしなかったのか?
 ラストシーンのこれから起ることを何も知らないはずのヨンホを、これからヨンホに起ることをすでに演じ終えたきたソル・ギョングに演じさせるためである。すでに役として知ってしまった役者が、それをいまだ知らない役を演じなければならない。ヨンホは未だ知らない。が、ソル・ギョングはすでに知っている。
 

 観客は、グラハムやヨンホを見ながら、そこに我々を見てしまう。我々もまた、これから自身に何が起るかなど知る由もない。そうでありながら、どこかで知っているのかもしれないと思う自分を否定しきれないのではないだろうか。もちろん知っている必要などない。知っている人などいないのだから。知っているか知らないかは、どこかで知っているのかもしれないと思うことと全く関係がないのだ。
 

テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

  1. 2008/02/06(水) 13:55:59|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

「スティング」と「フレンチコネクション」

BSにて「スティング」再見。面白いものは面白い。
(ネタバレ注意)

 おそらく語り尽くされているのであろうが、少しだけ。
 様々な詐欺の手口が披露される。我々観客は、騙す側によっているので、騙される側がどのように鮮やかに騙されていくか、その騙されていく様を見ることになる。観客は主人公ら騙す側に感情移入もし、実際誰を騙すのかも知らされている。
 が、騙されていたのは、当の観客であったというドンデン返し。騙す側だと思っていた観客は、実はロバート・ショウ扮するロネガン側=騙される側なのだと突き放される。そう、ロネガンも観客に同じく騙す側だと信じ込まされていたのだから。

 「フレンチコネクション」のラストもそうだった。当然ポパイ(ジーン・ハックマン)側に寄り添い映画を観てきた観客が、ラストの銃撃で一気に突き放される。カメラから遠ざかる様を茫然と見送る他ないラストだった。

 騙される側=観客(ロネガン)は、騙す側=主人公の行動原理は全て知らされていると信じて疑わないから、騙されるのだ。
 
 

テーマ:TVで見た映画 - ジャンル:映画

  1. 2008/02/06(水) 00:50:24|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ヒトラーの贋札

ヒトラーの贋札
 
 全編、手持ちカメラでの撮影。(と思ったが、ローリングタイトルにステディカムの文字が・・・)
 そのオペレートが、実に的確。手持ち撮影でありながら、いわゆる即座の反応(時には被写体に迷う)を味とするドキュメンタリータッチのオペレートとは異なり、被写体の何らかの動きをきっかけにしてしかカメラは動かない完全に計算された振り付けがなされている。
 
 ユダヤ人贋作師サリー(カール・マルコビクス)が、ブルガー(アウグスト・ディール)に感情を抑えるべきだと忠告する。
 「ナチを喜ばしてはいけない」と、言い放つサリー。
 納得したのか返す言葉のないブルガー。
 そのブルガーをちらりと見るサリーのクロースアップ。
 このカール・マルコビクスの芝居が素晴らしい。韜晦するサリーが垣間見せる人となりを、我々観客もちらりと見ることができる。そのクロースアップは、ブルガーに見られることなくブルガーをちらりと見るサリーの横顔を、背中越しで捉える。つまりカメラ=観客も、サリーに見られることのないポジションから、サリーに見られることなくサリーをちらりと見ている感覚なのだ。

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/02/05(火) 09:52:11|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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