撮影監督の映画批評

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人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うな

 鈴木昭彦氏による撮影が素晴らしい。こういうフレームのセンスは、真似できない。なにより被写体とカメラの距離感が的確で、選択されたレンズもそれ以外考えられない。「犬猫」と本作しか拝見していないが、現在日本で一番センスのよいキャメラマンだと申し上げてよいのではないか。

 美術学校の喫煙スペースでの、みるめ(松山ケンイチ)と女性講師ユリ(永作博美)の再会シーンを振り返ってみる。
 タバコを吸わない堂本(忍成修吾)とえんちゃん(蒼井優)は、喫煙スペースに対面するベンチに腰掛ける。みるめの横に座るユリ。ここでのタバコの煙の強調のされ方は、えんちゃんの嫌煙ぶりの芝居や、灰皿から立ち上る煙によってなされ、対面するベンチの間にある距離感=空気感を効果的に伝えている。この距離感=空気感を完璧に捉えている引きの横位置から、カメラは堂本とえんちゃん、みるめとユリを交互にカットバックするポジションに移る。
 その切り返しは、カメラから同じ距離感で捉えられる透明なカットバック(堂本とえんちゃん側、みるめとユリ側)である。
 が、えんちゃんの表情に翳りが兆すと、それを受けて、みるめとユリに切り返すカメラはもう等距離にはない(えんちゃん側からのみるめとユリ側)。
 ここでのカメラは、えんちゃんの眼差しを担っている。それは選択されたカメラポジションによって表現されている。しかも、これを今までのカットバックよりもひいた画角で撮影している。これは選択されたレンズによって。(つまり見た目になっているのだが、カメラの光軸の角度がカットバックの時と変わらず正面なので、その違いはカメラポジションによるしかないのだ。その際、自分ならレンズでもっとサイズをつめてしまうだろうと思う。それがカットバック時よりさらにひいた画角というセンスに驚かされた)
 さらに、ラストまで登場する機会のない無人の屋上がカットインされ、再び喫煙スペースにカメラが戻ると、授業の開始の為に生徒たちがいなくなるなか、みるめだけをベンチに残すことで、すでに恋に落ちた男としてしまう巧さ。

 他にも、センスの良い監督がセンスの良いキャメラマンと撮ったセンスのいいシーンが頻出する。しかし、被写体に対する距離感は、これ以外にないと思うものばかりだが(空間的構築は完璧)、カットの長さが果たしてこれ以外にないという長さなのかどうかは、確信が持てない。



 
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テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/01/29(火) 18:58:19|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:6

再会の街で

再会の街で

 チャーリー(アダム・サンドラー)が再生する話の体裁で、アラン(ドン・チードル)が再生する話。
 見るからに病んでいるチャーリーを、なんとかして立ち直らせようとする当のアランこそが病んでいるというのは、抑圧のあり方をチャーリーのトラウマの描写よりも雄弁に物語る。
 つまり、抑圧していることを当の本人は知らないというのが、抑圧のあり方なのであれば、まるで事故のことを故意に忘れようとして苦しんでいるかのようにも見える(というか、そのようにしかみえない)チャーリーよりも、自身が絵に描いたような幸せを享受していると疑いもしないアランとして描かれるアランの方が、該当する。

 チャーリーの闇(闇という表現=光)が、アランの闇を照射する。

 そのアランのあり方が、とりもなおさずチャーリーの抱えるトラウマ(表現としての闇ではない闇)を逆照射する。

 チャーリーを癒すことで、アランが癒され、それがチャーリーを癒す。闇の見せ方と同じ道程を経て再生も描かれる。
 この螺旋構造は見事。であればこそ、チャーリーを触媒としたアランの再生の話として描いた方が良かったのでは?
 アランの物語をしっかり描くことが、翻ってチャーリーを描くことになるのだから。
 チャーリーの生きづらさは、アランの生きづらさが逆照射してくれるはずである。
 
 しかし後半、映画はチャーリーの描写に終始する。アランの描写から逆照射を受けることなく進行する後半は、それだけにキビシイ。
 ドナ・リマー(サフロン・バロウズ)とチャーリーの描写も、アランと妻ジャニーン(ジャダ・ピンケット・スミス)の描写が等閑だっただけに、とってつけたようにしか見えないのはもったいない。
 
 

 

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/01/26(土) 16:10:57|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

「夜顔」

夜顔

 前触れと痕跡の映画。
 アンリ(ミシェル・ピコリ)が追いかけるセヴリーヌ(ビュル・オジエ)。
 セヴリーヌはアンリから逃れ、しかしそこにはセヴリーヌの痕跡。
 アンリはセヴリーヌを探す、そこにセヴリーヌが現れる前触れ。

 コンサート会場を出て、すぐに見失い。その帰途で見つめるショーウィンドウのマネキン。
 そのすぐ後に、再びセヴリーヌを見つける。

 そのセヴリーヌが先程までいたバーに入るアンリ。そこで見つめる裸婦像。

 バーで聞いた滞在先のホテルを訪ねるアンリが、その前の道で見つめる金色の彫像。
 すぐ後に、セヴリーヌとニアミス。

 またしても、追いつくことができなかったアンリが、その帰途に見つめる金色の彫像。

 これらアンリによって見つめられる女性像は、セヴリーヌの影、前触れであり痕跡である。

 その追跡劇は、嘘のように呆気なく終わりアンリはセヴリーヌをつかまえる。しかしそれは嘘のように呆気ない引きの画で、セリフもなく提示される。

 再会のレストランでセヴリーヌはなかなか来ない。
 そこでアンリは、壁に掛けられた絵に描かれた人物を見つめる。
 直後にやってくるセヴリーヌ。(前触れ)

 ドア口に立つセヴリーヌは、まずガラスの反映にて捉えられる。実像にカットが変わると、明るい廊下の壁をバックに矩形に切りとられたフレーム内フレームに佇むセヴリーヌ。そのフレーム内フレームにフレームインするアンリ。息を呑む美しさとはこのこと。二人がフレーム内フレームから出て、部屋に入り着席するバックで静かに閉められるフレーム内フレーム。

 アンリが送る箱の中身は何か?
 アンリは「女という存在は自然が生んだ、最大の謎だ」と言う、そう、箱の中身は謎、マクガフィンなのだ。
 謎に答えがあれば、それは謎ではなくなる。だからセヴリーヌという謎を愛するアンリは、セヴリーヌという謎は謎のままに、その影である前触れや痕跡である像を見つめるのだ。答えを知ってはいけないということだけは知っているアンリ。
 夫が知っていたのかどうかを知りたがる=謎をあきらかにしたいセヴリーヌは、中身が謎であるアンリの送る箱を「もう興味を失ったわ」と突き返す。アンリは自分が使おうと引き受ける。そう、アンリが謎を引き受けたのだ。アンリは、セヴリーヌが知りたがる謎に答えない。
 出て行くセヴリーヌの痕跡としてのニワトリ。
 謎を引き受けたアンリが出て行った後、アンリの痕跡としての彫像を見つめるのは、われわれ観客なのである。
 

 

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/01/25(金) 17:29:35|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ぜんぶ、フィデルのせい

ぜんぶ、フィデルのせい

 文字通り、徹底して、9歳の少女、アンナ(ニナ・ケルベル)の目を通して語られる。
 そのほとんどが、アンナに寄り添うカメラと、その見た目で構成されている。徹底ぶりは、見た目の方ではなく、見る主体であるアンナを捉える画に顕れていて、カメラの光軸を、9歳の子供の目線の高さまで下げ、アンナに寄り添うことで、アンナの周りを行き交う大人の顔を、一切見せない。
 シネマスコープサイズの選択は、そこにあって、その横長のフレームで、アンナの目線と同じ高さのものは目一杯取り込むが、高さの異なるものはバッサリ上フレームで切ってしまうのだ。
 すると、大人たちはどのようにしてこの映画に登場するのかといえば、それはアンナの見た目を通してということになる。見た目とは距離の意識でもあるから、この映画に出てくる大人はおしなべて距離をもって描かれる。
 であるから、大人の登場人物はその距離を踏破するのに、アンナに近づくだけでは不十分で、アンナの目線の高さまで降りなければならない。(あるいはアンナを抱き上げてテーブルの上に乗せ、目線を同じくして合唱しなければならない)

 このアンナ視点の徹底ぶりは見事なのだが、弊害もあってどうしても映画が窮屈になってしまう。そのため広い邸宅から狭いアパートに引っ越したというコントラストが描きづらい。もちろんアンナの目を通して様々にその変化を描く工夫はなされているのだが、それは情報の積み上げでしかなく、空間の広狭は描けていない。それでも冒頭の結婚式での大人たち(昼の庭)と、キョーサン主義の大人たち(夜のアパート)のコントラストは鮮やかであった。

 この徹底があるからこそのラストのクレーンアップなのだが、それはよくわかるのだが、どうだろうか?好き嫌いでしかないと思うが、ちょっと・・・。


 

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2008/01/24(木) 14:50:39|
  2. 映画感想
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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