撮影監督の映画批評

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「あるスキャンダルの覚え書き」竜頭蛇尾の視点

あるスキャンダルの覚え書き

 「あるスキャンダルの覚え書き」は、バーバラ(ジュディ・デンチ)が、シーバ(ケイト・ブランシェット)を一方的に見る描写から始まる。
 その描写は、あくまでバーバラがシーバを一方的に見るという描写なのであって、シーバがバーバラに見られているという描写なのではない。つまり映画はボイスオーバーにも補強されて、バーバラ視点で語られる。
 カメラはその後もバーバラの側を離れることなく寄り添っていくのだが、シーバの告白シークエンスを境にして、カメラはバーバラだけのものではなくなっていく。このシーバ視点の回想シーンを、視点切替の契機とするのは巧い。なぜなら、シーバ視点の回想を聞かされているのはバーバラなのであって、話を聞いたバーバラが再構成した回想ともいえるからだ。つまりバーバラの視点とシーバの視点が重なっている。
 ここからシーバ視点中心に変わっていけば面白いと思うのだが、カメラはシーバとバーバラ双方にどっちつかずで揺れ動く。双方の視点にその都度切り替わるのであればいいのだが、そうではなく視点が消えてしまう。これ以降、人称性を帯びることのないカメラによってストーリーが語られていく、それでは面白くない。
 シーバとバーバラ双方をニュートラルに描こうとして選択された非人称視点は、それ故どちらの心情にもコミットすることができなくさせてしまった。もったいない。 
 

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テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2007/07/24(火) 15:41:30|
  2. 映画感想
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殯(もがり)の森 人と人を繋ぐパン

もがりのもり

 パンが人を繋いでいる。冒頭の点描が終わって、ドラマが動き始めると全編このリズムで、ふと入る引きのフィックスの画がアクセントになっている。
 パンとカットのリズムは心地よく、的確である。(和歌子と真千子が車の中で会話するシーンは、あまりうまくいってなかったように思うが)
 人と人、手と手を繋ぐパンと対称的に、真千子(尾野真千子)と夫(斉藤 陽一郎)が対峙するシーンでは、パンを使わない。二人は繋がってないからだ。真千子は、そっぽを向いて黙っている。カメラは真千子のプロフィールを捉えているので、表情は窺いづらい。しかし広く開いた襟刳りと横を向いていることで、首筋から鎖骨にかけてのラインが浮き上がる。夫の叱責に反応する首筋の動き。美しい。

 茶畑でしげき(うだ しげき)が投げた帽子の行方を追うカメラ、ふり戻すとそこにしげきはいない。かくれんぼが開始されたのだ。挟まれる引きの画といい、このシークエンスは素晴らしい。

 しげきの妻、真子(ますだ かなこ)との連弾のイメージは悪くないのだが、真子のハケが良くない。逃げるようにフレームアウトされては、興醒めだ。その直後にしげきが遺影を見ているのも、どうだろうか。わかりやすいけど。

 田んぼ道を車で颯爽と去って行く引き画の直後に、すでに脱輪している画に繋ぐところは、北野武の映画を髣髴させ、こんなこともするのかと感心した。

 しげきが幻の真子と踊るカットの後に、それが見えているとしか言えない表情で見ている真千子に繋ぐのは巧い。見えてるにしても見えていないにしても、その答えになるような、つまり真千子のPOVとしてのカットを次に繋ぎがちだが、そうしていないのは流石。

 ラスト、かざしたオルゴールにカメラがパンアップして、再び真千子の顔にパンダウンすると、泣いていた真千子が笑っている。この映画が描いてきたことがこのパンの往復に集約されている。見事。

 

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2007/07/23(月) 01:51:12|
  2. 映画感想
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「ダイ・ハード4.0」と例えば「昭和残侠伝 死んでもらいます」

die hard 4

 デジタル対アナログの戦い。
 1作目の「ダイ・ハード」が1988年の公開ということだから、1作目からは20年近く隔てての最新作となる。
 この間の撮影事情というのも、世情となんらかわりなく日々デジタル化が進み、いまやデジタル処理を施していないカットは1カットも見当たらないというところまできている。まさにデジタル対アナログの様相を呈しているのだが、もちろんアナログは劣勢である。
 フルCG作品では、デジタルの完勝なのだし、「ゾディアック」や「アポカリプト」などHD撮影の作品も確実に増えてきている。
 
 そんな撮影事情の只中、アナログ/刑事がデジタル/テロリストに立ち向かうという映画が本作である。冒頭からずっとデジタルの恩恵がなければ、ありえないカットの連続でアナログ/マクレーンは劣勢。これは、語り口と語られる内容が(たまたま?)一致しているからいい。
 もちろんその後マクレーン/アナログは攻勢に転ずるのだから、それをどのような語り口で見せてくれるのか?それが問題なのだ。
 アナログの攻勢をデジタル処理で語るようでは如何なものかと。しかし一体どうやって?

 「ダイ・ハード4.0」が巧いのは、アナログがデジタルに勝つというストーリーになっていないところ。
 一見、デジタル対アナログという構図のように思われるが、デジタル対アナログ+デジタルなのだ。
 単身乗り込もうとするマクレーンに、自分も一緒にいくと告げるハッカーのマット(ジャスティン・ロング)。この任侠映画の殴り込みにも似たシーンこそが、現在の撮影事情を見事に描き出している。アナログだけでは、今や語ることができないところまで来てしまった。しかしあくまでデジタルは、アナログに突き動かされるものであって、マットがマクレーンに憧れるようにアナログに憧れるのがデジタルなのだ。

テーマ:ダイ・ハード4.0 - ジャンル:映画

  1. 2007/07/12(木) 13:23:18|
  2. 映画感想
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「石の微笑」

石の微笑

 とにかく巧い。全てが巧い。
 
 主人公であるフィリップ(ブノワ・マジメル)とセンタ(ローラ・スメット)の二人を、どのようにして一つのフレームに収めるか。
 記念撮影のカメラマンの後ろを通り過ぎながら、被写体である新郎新婦たちを見るフィリップ。
 POVのカメラはフィリップの動きをなぞって横移動するのだが、その被写体の中でセンタの視線だけがその移動についてくる。撮影が終わってセンタ以外は、屋内に入ってしまい、その場/POVのフレームに残されるセンタ。センタのPOVのようにフィリップに近づくカメラは、近づくにつれて横位置に回り込み、センタをフレームインさせて、二人を一つのフレームに収める。
 このフレームを我々観客は、すでに見ている。
 フィリップとセンタは、出会う前にすでに出会っている。
 それは石の彫像フローラを手にするフィリップを収めたフレーム。


 雨に濡れたセンタがやってくるカットのズームは、それと気づかれないが的確なズームとして映画史に残ると言っても過言ではない。
 玄関の扉が開くとそこにずぶ濡れのセンタが立っている。そのセンタが中に入ると同時にズーミングされるフレーム。ただそれだけのズームがなぜそれだけの力を持つのかわからないが、観た方には納得してもらえると思う。


 この作品はヨーロピアンヴィスタで撮影されている。フレームレシオの選択というのは、映画外的な制約を受けたり、制約がなくてもその選択理由は、恣意的であったりこじつけにすぎないことが多い。
 だが、「石の微笑」の海のシーンを観ていると、これはもうヨーロピアンヴィスタ以外は考えられない。それくらいこのフレームレシオと海でのフレーミングは絶対なのだ。

 


 

テーマ:ミニシアター系 - ジャンル:映画

  1. 2007/07/02(月) 02:22:12|
  2. 映画感想
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  4. | コメント:1

著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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