撮影監督の映画批評

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岡崎体育『MUSIC VIDEO』から考える



--このMV制作のアイデアが出たきっかけはなんでしょうか?

岡崎体育: 2010年代において、予算や費用の少ない中で活動するインディーズアーティストが知名度を上げるためには、ハイクオリティで類を見ないミュージックビデオのアウトプットが最も重要だと考えています。それを念頭においた上で色々な打ち出し方を探りましたが、結局もう「ミュージックビデオのことそのまま歌にしたら面白いんちゃうかな」というメタ表現に行き着きました。 きっかけとかは特になく、急にフワッとそういう方向に行き着きました。

SENSORS:岡崎体育「MUSIC VIDEO」MVの"あるある"をMVに 制作のきっかけとは

本人もメタ表現と言っているようにシニカルな視点が面白く、随分と話題になっているようである。これを見て思ったのは、「予算や費用の少ない中で活動するインディーズアーティストが知名度を上げるため」にこれから作られようとするMVが、いわば失語症のようなものに陥るのではないかということだ。

 私たちは、思想内容をいくら批判されてもこたえないが、思想を語る言葉遣いを批判されると一言も返せなくなる(おそらく、「文体」がバルトの言うように生物学的に刻印された私たちの宿命、私たちの「牢獄」だからである)。「言葉遣い」についての批判に反論しようとするとき、私たちは反論そのものが批判者の正しさを確証することしかできないことに気づく。つまり、その「パターン」をすっかり見透かされてしまった語法によってしか、自分が語り得ないということに気づくからである。
 才能のある論争家はこのこと直感的に知っている。例えばサルトルがそうだ。サルトルはモーリアック、メルロー=ポンティ、カミュと、論敵たちの「言葉遣い」をあげつらって、彼らを次々と失語症に追い込んでいった。

内田樹『ためらいの倫理学』角川文庫


とはいえ、MVはこれからも岡崎体育が歌った「パターン」で撮られていくにちがいない。なぜなら人は、自分がシニカルに笑った当のそのもので、感動することができるからだ。
ここで思い出されるのが、『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』という10年前のバラエティ番組内での1コーナーである。

クイズよくあるパターン ベタの世界
100人のアンケートに基づいて作られたベタなドラマを観ながら次の展開を予想するクイズコーナー。最下位にはベタな罰ゲームが待ち構えている(インパルスの堤下敦の時は、1回目は時間の関係で、2回目は番組側から堤下へのボケとして、罰ゲームのシーンがカットされていた)。後期には番組のメインコーナーとなった。
ドラマの内容は、テーマに基づいたベタなシーンが連発するストーリーで、登場人物がベタな演技ややりとりを見せる。各ドラマのタイトルは過去のヒットドラマなどをモチーフにしたものになっている。ドラマの途中の何ヶ所かで「アンケートによるこの後のベタな展開第1位は?」というクイズが出題され、解答者がそれぞれこだわったベタな展開を予想する。深夜番組の1コーナーにもかかわらず有名俳優が出演し、作品のクオリティも高かった。出演者はドラマのベタな展開に共感したり、ツッコんだりしながらのめりこみ、恋愛ベタドラマのエンディングでは感動して泣く出演者もいた。特に『101回目のベタポーズ』では、ゲスト解答者やこれまで泣くことのなかった関根勤も感動して泣いていた。

引用 - Wikipedia


ベタドラマで笑っていたはずの同じ「パターン」で泣かされることがある。いくらシニカルな笑いにされようとも、「パターン」をすっかり見透かされてしまった語法によってしか語れなくとも、ドラマが失語症に陥ることはない。
なぜなら、ベタであっても、ベタだとわかっていても「いつのまにか」そのベタに涙することを知っているからである。

メタレベルからシニカルに眺めていたはずが、「いつのまにか」感情移入し、オブジェクトレベルで感動する。その「いつのまにか」見る人の視点を誘導するテクニックこそが重要なのであって、描かれるものがベタであるかどうかはさして重要ではない。(その視点誘導の語法こそがベタだと言われればそれまでだが……)

ジム・ジャームッシュは、映画撮影の黄金法則の中で、ジャン・リュック・ゴダールの次の言葉を引用している。

“It’s not where you take things from – it’s where you take them to.”
重要なのは君がどこから物事を持って来たかではなく、どこへ持っていくかだ






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  1. 2016/04/28(木) 17:10:56|
  2. 演出
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下町ロケット TBS版、WOWOW版との比較

最初に断っておかなければならないのが、TBS版を見て原作を読み、そしてDVDにてWOWOW版を見るというその順序が、なんらかのバイアスとなっているであろうことである。たとえそれが逆であろうと評価は変らないと思うのだが、それこそバイアスによるものかもしれない。とにかく結論からいえば、今回のTBS版を高く買っている。

まずスタイルの違いから。TBS版は、「半沢直樹」のとき以上に「英国王のスピーチ」(トム・フーパー)を意識しているのではないかと思われるワイドレンズを多用した引きの画と、極端なヨリのコントラストで見せる。
WOWOW版は、長回しが多くクロースアップ以外は大概ゆるやかに移動している。ただ長回しと言っても、人物はほとんど動かない。カット数の多いTBS版がしっかり人物を動かしているのに対して、WOWOW版は一度対面して座った人物は一向に動かない。これは演出のパターンからくるものと思われる。
WOWOW版の演出が登場人物を着席させていって始まるスタイルなのに対し、TBS版の演出は席についている登場人物を立ち上がらせていくという基本的なスタイルの違いがある。一度席につけてしまうと動かしようがないが、立ち上がらせれば、いくらでも動かせる。もちろん着席してからでも起立することはできるが、さすがにハードルは高い。

WOWOW版にTBS版ほど予算がないのは明らかで、それは何よりも帝国重工のロケセットと1シーンに登場する役者の人数、カット数に顕著である。逆にいうとTBS版は、その違いを十二分に活かしている。つまりフレーム内に収まる人数の違いでカット間のコントラストを生み出し、それでドラマの葛藤/対立を演出している。
おそらく佃製作所のロケセットが目一杯で帝国重工側まで予算をかけられなかったのであろうWOWOW版は、TBS版の圧倒的な大企業感というのは出せていない。TBS版が巧いのは、ただ物量で大企業感を出しているだけでなく、度々出てくる帝国重工のエンブレムを巨大にして、それを後ろに財前(吉川晃司)ら人物を小さく見せているところである。サイズで小さく見せるのではなく、コントラストで小さく見せる。スペースを大きく見せるには人物を相対的に小さく見せればいい。

次にストーリー。TBS版が原作通りチームビルディングを描いているのに対し、WOWOW版は佃航平(三上博史)、財前(渡部篤郎)、神谷弁護士(寺島しのぶ)それぞれの並行するドラマに改変されている。これが大きな違い。
この違いはまず経理部長の殿村の扱いに見て取れる。TBS版では殿村(立川談春)がチーム(会社)の異物として登場し、第一話をかけて彼がチームの一員になるまでを描いている。ビジュアルとしても殿村が一人去っていく後ろ姿を何度も見せるのだし、それこそ数のコントラストを使って、殿村だけ常に一人離れて配置される。最も会社のことを考えてないと思われた殿村が、誰もがナカシマ工業の傘下已む無しというなかで、最後まで一人諦めないのである。
この話型が第一話のみならず、第三話では財前、第四話では反対していた社員、江原、迫田ら、第五話では帝国重工、というように繰り返され、回を重ねるごとにチームとして出来上がっていく。それぞれが ”見くびられていたバルブシステムが、最終的にロケットを飛ばす” というテーマの変奏なのだ。
高を括り見くびるのは、白水銀行、ナカシマ工業、帝国重工、海外のロケット産業であり、”敵の敵は味方” 式に、これら共通の敵を持つことで連帯していくのである。

一方、WOWOW版の殿村(小市慢太郎)はといえば、その他大勢の一人にすぎない。TBS版のようなチームビルディングに重きが置かれていないので、TBS版の佃(阿部寛)が、研究か経営かで引き裂かれるのと対照的に、WOWOW版の佃(三上博史)は、その都度最適解を探すような印象になってしまっている。
特に特許を売却するか使用契約にするかの話し合いのシーンがそうで、WOWOW版では神谷弁護士がそこに同席していて彼女に「使用契約の方が儲かるだろう」と言わせてしまっている。その後に佃(三上博史)が「使用契約でいこうと思う」と言うのだが、それはもうただ最適解を選んだだけにしか聞こえない。もちろんTBS版のようにその判断で会社が二分するというような描写もない。なぜならチームビルディングの話ではないからだ。

最後にもう一点だけ、ラスト、ロケットの打ち上げをどのように演出しているか。WOWOW版では全員が、飛んでいくロケットを目で追っている。TBS版では、皆がロケットを目で追う中、佃(阿部寛)だけが目を閉じ手を組んで祈る。それ自体はことさら採り上げるまでもない演出であるが、その佃を娘、利菜(土屋太鳳)に見つめさせているのだ。さりげないがこれができるかできないかが大きい。



テーマ:最近のドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

  1. 2015/11/18(水) 22:42:22|
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「いつのまにか」の描き方 映画技法の構造分析 番外編#7

イマジナリーライン越えを語るのに、小津に言及しなければ片手落ちだろう。
『秋刀魚の味』(小津安二郎)から。

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平山(笠智衆)も、河合(中村伸郎)も、下手(等方向)を向いている。
なぜこのようなことをするのだろうか?
諸説あるが、やはり厚田キャメラマンの次の発言がもっともらしい。

厚田 たとえば二人でテニスしてたとしますね。ふつうは、テニスをやってる二人を、同じ側に置いたキャメラで撮った画面を繋げる。それで、向かい合ってボールを打っているように見える。ところが、一人のラケットは向う側になって二人のラケットの大きさが違ってしまう。目線は合ってるけど、画面のバランスがこわれてしまうわけです。だから、一人を右側からとり、相手の方も向かって右側から撮ってつなげると、ラケットの大きさは変らない。だから画面のコンポジションは変らないけど、目線が合わないって感じになるんです。
 しかし、小津さんが大事にされていたのは、目線が合ってるか合わないかってことじゃなくて、それも大切ですが、それよか、コンポジションのバランスが画を繋げたときに守られてるかどうかってことなんです。たとえば、二人の人物を切り返しで撮るとします。向かいあって何か話してるとします。それをバスト・ショットで胸から上を撮ると、男優と女優では顔の大きさが違うから、一人ずつ撮って編集すると、顔の大きさのバランスが崩れちゃいます。佐分利信って人は、割合顔が大きいんですよ。だから『お茶漬けの味』で彼が木暮実千代と向かいあってるショットでは、彼の方を三フィートの距離から撮り、木暮を撮るときは、キャメラを二・五フィートに近づけます。

『小津安二郎物語』(厚田 雄春、蓮實 重彦)



小津にとってアイライン・マッチが要請する構図ー逆構図は、バランスが崩れていて受け入れがたい。
つまり、小津にとってバランスのよい繋ぎとは、アイライン・マッチした構図ー逆構図ではなく、アイライン・マッチを犠牲にした構図ー構図なのである。
さらに言うと、小津のキャメラは低い。ローポジション、ローアングルで撮られたバストアップの人物の視線は、キャメラの上を行き交う。つまり、被写体のアイレベルで撮られる通常のポジションよりも、小津のローポジション、ローアングルはアイライン・マッチの拘束を受けにくいのだ。 


構図ー構図を好むのは小津のスタイルだが、嗜好とは関係なく構図ー構図が要請されることはないのだろうか?
『花様年華』(ウォン・カーウァイ)を見てみよう。

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狭い廊下でチャン(マギー・チャン)とスーエン夫人(レベッカ・パン)がすれ違い様に会話する。その構図Aのカットの次にイマジナリーラインのルールを守り逆構図に繋ぐとすると、B’の位置にキャメラは切り返さなければならない。セットであれば廊下の壁を外してB’の位置から撮れなくもないが、できたとしても美しくない。なぜなら、スーエン夫人の背景は一面の壁になってしまうからだ。
このように構図Aー逆構図B'のカットバックで背景のバランスがとれなくなってしまうのは、二人が狭い廊下をすれ違うため互い違いに位置しているからだ。逆にいうと、構図Aー構図Bのカットバックでなら、どちらの背景も廊下のパースになる。
たしかにイマジナリーラインを越えてはいるが、前回述べたように単独ではなくナメのバストショットなので観客の混乱はほぼない。むしろ構図(廊下のパース)ー構図(廊下のパース)の安定感で、構図(廊下のパース)ー逆構図(一面の壁)よりも自然である。


『秋刀魚の味』で、平山と河合は真正面で対峙しているのではない。引きの画を見ればわかるように、互い違いに座っている。前掲書で厚田キャメラマンが『父ありき』の撮影スナップで笠智衆と佐野周二が互い違いに座っているのを指摘し、小津映画では真正面に向かい合っているように見える二人が実際はずれていることが多いと証言している。
では、なぜ互い違いに座らせるのか?
そうすることで背景の壁がキャメラの光軸に対して垂直になるからである。『花様年華』では廊下のパースであった構図ー構図の背景が、小津では、パースを欠いたレイヤーあるいは平面になる。これもまた小津のスタイルである。


最後に、アイライン・マッチを優先した構図ー逆構図の『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)と、アイライン・マッチを無視した構図ー構図の『ハンナ』(ジョー・ライト)を見てみよう。

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どちらもシネマスコープサイズで撮影された、横になって向かい合っている二人のカットバックである。
『ドラゴン・タトゥーの女』はアイライン・マッチしているが、それゆえカットバックの度に二人の顔が逆さになる。劇場のシネマスコープの大画面では煩わしいことこの上ない。
一方『ハンナ』は構図ー構図で撮られているので向きが統一されていて見やすい。
が、しかし、これは実際にはありえない不自然極まりないカットバックである。少し考えればわかるように、ハンナ(シアーシャ・ローナン)とソフィー(ジェシカ・バーデン)がそれぞれ場所を入れ替わり撮影されているのだ。

とは言え、それに気づいた人がどれだけいたというのか。
これこそ映画の嘘である。




  1. 2015/09/07(月) 09:32:32|
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「いつのまにか」の描き方 映画技法の構造分析 番外編#6

ルールを破らずイマジナリーラインを越えるやり方は、前回述べた。そしてなぜイマジナリーラインを越えるべきかも。
今回は、越えるべき理由があり、越えるべきタイミングなら、ルールなど無視すればいいという話。

まずは『周遊する蒸気船』(ジョン・フォード)から。

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ドク・ジョン(ウィル・ロジャース)とフリーティ・ベル(アン・シャーリー)は最初反目しあっているのだが、ドクが彼女を連れ戻そうとやってきた男たちを撃退し追い払うと、2人の距離が縮まる。この決定的な契機をどのように描いているか。

男たちを追い払ったドクと、フリーティを、キャメラはひき画でとらえる。思わず彼女の味方をしてしまい戸惑うドク(a)
ドクを見つめるフリーティの単独(b)
もう一度、ひき画にもどり、気まずさに背をむけるドクをとらえる(c)
もう一度、彼女の単独。ここで唐突にイマジナリーラインが越えられている。音楽が流れ、ドクに近づく彼女(d)
今までとは真逆の異なる背景をもつひき画(e)

(c)から(d)へと、カットを跨いでイマジナリーラインが越えられている。つまり、イマジナリーラインの法則が破られている。
観客は、その直前に(b)のカットを見せられているので、それとは顔の向きが違う(d)のカットに唐突に繋げられると、一瞬何が起ったのかわからずドキッとする。イマジナリーラインを越えることで方向感覚を狂わされたのだが、その違和感はすぐさま同じ方向性のひき画(e)に繋げられ修正される。
その混乱が方角を見失ったことからくるものだと観客が気づく前にその方向感覚を回復させるので、アン・シャーリーの瞳/眼差しの効果だと観客は錯覚するのだ。

前回も述べたとおり、イマジナリーラインを越えると、見え方(背景、ライティング、顔の向き)が劇的に変わる。
そこでさらに観客を動揺させたいのであれば、ルールを無視すればいい。そして観客が気づかないうちに方向感覚を回復させてしまえばいいのだ。一瞬の侵犯。


つぎに『天使の卵』(冨樫森)
 
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たわいのない話で始まる横位置の2ショットから、文字通り180°異なる決定的な台詞「お姉ちゃんに何の用?」と問う夏姫(沢尻エリカ)のカットに、イマジナリーライン(180°line)を越えて繋がれる。その問いに動揺する歩太(市原隼人)のリアクションに切り返し、このシーンが閉じられる。

注目してほしいのは『周遊する蒸気船』の(d)とは異なり、イマジナリーラインを越えたカットが夏姫単独ではなく上手(カミテ)に歩太をなめている点である。これは撮影者である私が、単独ではやりすぎかとバランスをとった結果である。(怖じ気づいたともいえる)
つまり、上手に歩太をなめることで、それが観客の手がかりとなり、方向感覚の回復を容易にすることができる。結果、単独で見せた『周遊する蒸気船』よりも、観客の戸惑いは穏便なはずである。


最後に『男はつらいよ 望郷篇』(山田洋次))

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例のごとく勘違いした寅次郎(渥美清)が、実は横恋慕だったのだと気づいてしまう残酷な瞬間に、イマジナリーラインが越えられている。
しかし、イマジナリーラインを越えたカットは『周遊する蒸気船』のように寅次郎単独ではなく、『天使の卵』のように肩越しのクロースアップでもなく、逆側からのひき画である。方向感覚の回復は容易い。観客の混乱は最小限に抑えられているのだ。それでも効果的である。国民的人気シリーズであるがゆえの抑制だと思われるが、それがまた味わい深い。

以上のように、イマジナリーラインのルールを破ることで生じる方向感覚の狂いを、演出の効果として利用することができる。その効果には強度があり、位置関係から切り離された単独のクロースアップが最も大胆で、サイズを引いていくことでより穏便になることがわかる。
強度に違いはあれ、どれも一瞬の侵犯である。侵犯のあとは再びイマジナリーラインの法則に従うのである。イマジナリーラインを守っているから、越えることが際立つ。イマジナリーラインのルールを守らなければ、以上のような効果は期待できないのだ。

  1. 2015/09/05(土) 21:20:14|
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「いつのまにか」の描き方 映画技法の構造分析 番外編#5

さて今回は、いよいよイマジナリーラインの法則について。
教科書的な説明なら次の動画がわかりやすい。



要はイマジナリーラインをキャメラが越えると、向かい合っているはずの2人が等方向を向いているかのように見えてしまい、観客の方向感覚を混乱させてしまうので避けましょうということである。

HOLIDAY#1

上図でいえば、上手にジュード・ロウ、下手にキャメロン・ディアスが座って向かい合っている。2人を結ぶようにイマジナリーラインが走り、その下半分の180°内であれば、どこから撮っても彼らの関係位置(上手にジュード・ロウ、下手にキャメロン・ディアス)は変わらない。
カットバックも構図逆構図上手方向を見るキャメロン・ディアス下手方向を見るジュード・ロウ)でとらえることができる。

しかし、キャメラがイマジナリーラインを越えると事情が変わる。イマジナリーラインを越えてジュード・ロウをとらえたカットは、上手にキャメロン・ディアスがいることを示し2人の位置関係が左右逆転してしまっている。そのジュード・ロウのカットとキャメロン・ディアスのカットをカットバックすると2人とも上手を見ていることになって、向かい合っているはずなのに等方向を向いているように見えてしまう。つまり構図逆構図のカットバックではなく、構図構図のカットバック(上手方向を見るキャメロン・ディアス上手方向を見るジュード・ロウ)になってしまう。

被写体と被写体を結ぶ視線だけがイマジナリーラインというわけではなく、始点と終点を結ぶ動線もまたイマジナリーラインである。「いつのまにか」の描き方 映画技法の構造分析 番外編#1でとりあげた『いま、会いにゆきます』(土井裕泰)が、まさに動線のイマジナリーラインを越えたがために観客の混乱を引き起こしてしまっている。行きも帰りも等方向に向かっているようにしか見えない。

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ただこのルールは帰納的に導かれたものに過ぎなく、このルールに照らし合わせて現場で判断するという演繹的な考え方は、却って事態をややこしくするように思われる。つまり位置関係を守って撮影すれば、結果それはイマジナリーラインを越えていないのであって、位置関係を守るためにイマジナリーラインを越えないようにしようというのは、順逆が転倒している。
イマジナリーラインを云々するより、ひき画、エスタブリングショットに戻ればいい。ひき画の位置関係と同じように撮るだけでいいのだ。ひき画で上手側にいた人物の単独カットを撮るとき、その人物が上手側になるような位置にキャメラを置くだけでいい。もしその人物が下手側に位置するようなら、イマジナリーラインを越えているのだろう。それだけのことである。
動線の場合も同じ。ただひき画ではなくて、俯瞰したマップを持っていること。そのマップのどこに登場人物の自宅がありオフィスがあるのか。



イマジナリーラインの越え方のルールというのもある。まずはそれらを紹介してから、なぜ越えるのかについて解説したい。

1)登場人物を動かすことで、イマジナリーラインがキャメラを越える。

『チャンプ』(フランコ・ゼフィレッリ)から、再起を決めたビリー(ジョン・ヴォイト)が、反対するトレーナーのジャッキー(ジャック・ウォーデン)を説得するシーン。

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上図のように、まず、向かい合う2人をキャメラが壁を背負ってカットバックする。上手にジャッキー、下手にビリー。その2人の背景には騒々しい店内の様子が映し出される(C#1,2,3,4)
C#5で、ビリーがなぜか腰を浮かせ壁側に席をずれ、キャメラの前を横切る。このときイマジナリーラインもまたキャメラの光軸を横切り、結果キャメラはイマジナリーラインの逆側に位置することになる。つまり上下(カミシモ)が逆転する。上手にビリー、下手にジャッキー。
それ以降、敷きなおされたイマジナリーラインの法則に従い、今度はキャメラが店側を背負ってカットバックする(C#6〜13)


2)キャメラを移動させて、イマジナリーラインを越える。

『プロミスト・ランド』(ガス・ヴァン・サント)から

pl.png

次に『ホリデイ』(ナンシー・マイヤーズ)



そして『ヒート』(マイケル・マン)





1)も、2)も、カットの中でイマジナリーラインを越えている。イマジナリーラインの法則を、カットを跨いでイマジナリーラインを越えてはいけないと再定義すれば、これらはルールを破ってないことになるわけだ。


さて、なぜこうまでしてイマジナリーラインを越えなければならないのか。越えると何がちがうのか。

a)イマジナリーラインを越えると背景が変わる。
『チャンプ』の例を見てみると、背景が劇的に変わるのがわかる。前半は賑やかな店内の様子を背景にしてカットバックされるが(C#1,2,3,4)、イマジナリーラインを越えて以降、特にビリーは一面の壁を背景にカットバックされ、ビリーだけが際立つ(C#6〜13)。レストランという環境の中で話しているというカットバックから、2人が孤立し、特にビリーが引きこもるようなカットバックになる。
ジャッキーの反対を大人しく聞いていたビリーが、どうしても再起するのだと語るきっかけで、イマジナリーラインが越えられる。そのビリーにジャッキーは、協力せざるをえない。その説得力は、もちろんジョン・ヴォイトの演技によるものでもあるが、同時にイマジナリーラインを越えた効果でもある。
ビリーが座り位置をずらすことに、物語上の必然などない。これこそ純然たる映画の演出である。

b)イマジナリーラインを越えるとライティングが変わる。
『プロミスト・ランド』では、上図のとおりキャメラが移動し、2度イマジナリーラインが越えられる。それぞれの側で横位置の2ショットがあり、それらに顕著なのだが、片やキャメラが窓を背にした順光、片や窓を背景にしたシルエット(逆光)と、ライティングが全く違い、与える印象も異なる。
まず順光の側からカットバックされ、表向きの会話が始まる。町の有力者がスティーヴ(マット・デイモン)に対し、裏の話、つまりお金の話を仄めかすとイマジナリーラインが越えられ、逆光側のカットバックとなり裏の話が進む。強気のスティーヴが交渉をまとめると、再びイマジナリーラインが越えられ、順光側に戻りシーンが閉じられる。

c)イマジナリーラインを越えると上下(カミシモ)が逆転し、顔の向きが変わる。
『ホリディ』では、まず下手側のアマンダ(キャメロン・ディアス)が、上手側のグレアム(ジュード・ロウ)に一方的に質問する。グレアムが会社面接のインタビューのようだと言うように、インタビューのセオリーどおり、下手にインタビュアーであるアマンダ、上手にインタビュイーであるグレアムが位置している。
その役割が交替されると同時にキャメラはイマジナリーラインを越えて、下手にインタビュアー、上手にインタビュイーの定位置はそのままに、アマンダとグレアムの位置が入れ替わる。
「いつのまにか」の描き方 映画技法の構造分析 番外編#2でみたように、完全な左右対称の顔はないのだから、当然顔の左右で与える印象は異なる(”Left or Right”)。イマジナリーラインを越えると、登場人物の顔の向きが変わり、観客が主に見る顔のサイドが変わる。つまりサイドが変わることで、今までよく見えなかった一面が見えるということだ。


なぜイマジナリーラインを越えるかの理由に、単調にならないようになどといった説明をよく目にするが、さにあらず。以上の例が示すとおり、越えなければならない理由があり、越えるべきタイミングで越えられる。

『ヒート』では、話しかけてくるイーディ(エイミー・ブレネマン)を警戒するニール(ロバート・デ・ニーロ)が、よそよそしい態度をとっているあいだは、背中越しのカットバックで2人をとらえ、ニールが警戒心を解き、文字通り相手の懐に入り込むそのときにイマジナリーラインが越えられ、内側のカットバックで2人をとらえる。ニールが恋に落ち、後の彼の運命を変えることになる女性との出会いを、イマジナリーラインを越えることで見せている。

上のイマジナリーラインはすべて視線であるが、と同時に物語や登場人物のボーダーラインでもある。イマジナリーラインを越えることによって、物語や登場人物は別のフェーズを見せるのだ。
  1. 2015/09/04(金) 09:34:07|
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著書

プロフィール

中澤正行

Author:中澤正行
撮影監督

主な作品
2006「天使の卵」
同年 第50回三浦賞受賞
2008「あの空をおぼえてる」

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